我が應援團の團室には写しではありますが、三島由紀夫先生の筆による「憂國」の額が掲げられております。以前、後援団体より寄贈頂いた品でありますが、力強い見事な書であります。
昭和の不良の間では矢鱈と難しい漢字を並べるのが格好いいとされる時代がございました。その際、当て字に妙に難しい漢字を使ったり、既存の勇ましい単語なども愛用されておりましたので、この「憂國」という言葉も使われがちな単語でありました。
年端もいかない若者が戦闘服に「憂國」と刺繍しておりましても、何だが薄っぺらい感じがしたものでありますが、三島先生がお書きになると、当然の事ではありますが、全く意味合いが異なって参ります。
三島由紀夫という人物は現代から考えても極めて特異な作家でありまして「現在で言えば◯◯の様な作家」と比較対象さえ見つからない程、突出した作家でありました。真の意味でのスター性を具備し、その死に様だけがクローズアップされてしまいがちでありますが、私の様な者ですとスーパースターという陳腐な表現しか出来ません。三島由紀夫=狂信的な右翼、と言った先入観が跋扈しておりましたが、実に愚かしい話でありましょう。
どのような状況で書かれたかまでは存じ上げませんが、その三島由紀夫が万感の想いを込め、思索を巡らし筆を運ばせた「憂國」の二文字は極めて重いと言えます。憂う、という言葉を安易に使ってはならない様な気になります。
我が会は特定の政党を支持したり政治活動を行う性格の団体ではありませんので、国家に対して何か申せる立場ではございません。ただ甲南大學應援團という団体を想う時、我々は「憂う」という言葉を使える程、真剣に向き合う必要があると思います。
甲南大學應援團OB会
八代目甲雄会広報委員会