OB会組織は全国に無数ございますが、規模や活動内容等は千差万別であります。概ね設立の趣旨はOB相互の親睦を図り現役組織への支援協力を行い盛り立てて行こうというものでありましょう。
我が会は應援團設立8年目の昭和36年に八代目平井團長の提唱で結成されました。創團の雄 本田孝雄二代目團長を会長に戴き、活動を開始致した次第であります。
創團して間もない団体のOB会でございますので、本田会長は27歳という若さでありました。創團当時、兼部で應援團員だった者は兼部先の他部のOB会に所属する者が多く、会員も50名足らずでありました。
本田会長は現役團員時代、短期間のうちに應援團を学内屈指の団体にせしめた器量の持ち主でありますので、OB会と現役應援團の関係も極めて緩やかなものでございました。現役團員の器量でもっと應援團を大きく出来ると思っていたのでありましょう。無論、支援、協力を惜しむものではありませんが、他校では一般的である監督やコーチを置く制度も、我が應援團では存続していた48年間、採用される事は一度もございませんでした。
また我が会では應援團に限らず様々なクラブで卒業生を戦略的に教職員として大学に残し、OB-現役の距離を縮める様な取り組みにも無関心でありました。故に他校ではかなり高い確率で存在する應援團出身の職員が我が校にはおりません。
こういった背景の中、私共は現役時代、随分と自由に活動させて頂いておりました。チアリーダーを併設してはどうか?吹奏楽部を創設してはどうか?等の議論は過去、幾度もございましたが、発案は全て現役團員でありました。OB会は現役でやりたいと言うのであれば、如何なる支援も惜しまない、というスタンスであります。
ただこの運用も時代の流れと共に徐々に問題点が露呈して参ります。そして現役がいなくなるという最悪の事態を招来し、現在に至っている訳であります。今、今後のOB会の在り方が再考せねば、再出発する應援團の支援は難しいと思われます。
八代目甲南大學應援團OB会広報委員会