当時は我が應援團吹奏楽部創設2年目で、ようやく人と楽器がある程度、揃い、人前での演奏を始めたばかりという状況で、お世辞にも上手いと言える状態ではありませんでした。
バレーの試合会場は我が校の体育館でありまして、ちょうど試合の最中に、六甲アイランドグランドで練習を終えた体育会の連中を乗せたバスが体育館前のバス停に帰って参りました。体育館から聞こえてくる太鼓の音に加えて耳慣れぬ楽器の音に興味を示したのか、バスを降りたホッケー部やテニス部の部員が興味本位で体育館を覗きます。
中では王者 天理大と互角に渡り合う我が校の奮戦ぶりに感嘆し、バスを降りて帰ろうとする他の体育会の連中を半ば強引に体育館に引き込んだりしておりまして、通常ならば観客席は應援團と次の試合に備えて待機する他校のバレー部員しかおりませんが、この時ばかりは甲南体育会の混成軍で埋め尽くされたのであります。
体育会の人間は、個人的には横の繋がりが強いケースが多うございまして、同じ高校の出身だとかゼミが一緒だとか、この間、一緒にコンパに行ったとか事情は様々ではありますが、普段、気軽に付き合っている友達がコートに立っていると別人の様でありまして、應援團以上にヒートアップしていたのでございます。
一進一退の攻防、当時のバレーはサーブ権がある時にポイントを上げないと得点にならないというルールであり、非常に試合時間が長かったのでありますが、観客席だけは異常な盛り上がりを見せておりました。体育会には甲南高校出身者が多数、おりますので、セット間には「團長!ここは遠征応援歌で景気をつけなあかんで!」とか何とか言って歌い始めたと思えば、他校出身者は「これは甲南の歌か?歌詞カードはないんか?」と聞いて来たり、普段では考えられない状況が現出したのであります。
一進一退の攻防は最終セットまでもつれこみ、最終セットもデュース、ボールが地に落ちる度に大きな歓声や悲鳴が上がります。しかし今でもそう思っているのでありますが、会場の異様な雰囲気に呑み込まれた天理大が根負けし、我が校は大金星を上げたのであります。勝利の瞬間、一瞬の静寂の後の大歓声、引き続いての学園歌の大合唱は、我が團史上でも屈指の名応援だったと思います。
あの応援をその後も組織的に維持・発展させ得なかったのは我が團の力不足であると言えますが、今からでも遅くないとも思っております。
本日明日、そして来週日曜日とバレー部の秋季リーグが続きます。今では当時より観客が増えておりますので、当時よりもっと良い応援が可能だと思います。その可能性を探りながら観戦したいと思います。
八代目甲南大學應援團OB会広報委員会