リーダー部列伝【7】(1) | 甲南大學應援團OB会のブログ「雲外蒼天」

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甲南大学応援団再建物語
~黄霧四塞すと雖も、上に蒼天なきに非ず~

第7回 孤塁 中村昭則(三十五代目甲南大學應援團團長)【1】


一昨年から昨年にかけてNHKで放映されたスペシャル大河ドラマ「坂の上の雲」を視聴致しておりましたが、日露戦争を題材にした作品であります。その中で幾多の戦いの中で明治38年に起きた黒溝台会戦に関する描写があり、印象に残ったのでご紹介致します。


細かい内容は省略致しますが、要は厳寒の満州で寒さどころで戦いは起こらないと高を括っていた日本軍にロシア軍が襲い掛かり激戦が行われたのが黒溝台会戦であります。得意とする厳冬の中で、倍する兵力で不意を衝いたにも関わらずロシア軍は敗れます。

沈旦堡という小さな陣地を守っていた日本軍の小部隊が決して退かず、その小さな点を軸に反撃を加えた為、驚いたロシア軍が撤退したという訳であります。


小さなたった一つの点が、局面を大きく回天させる軸になり得るという好例であります。


我が應援團は前回もご紹介させて頂いた様に30代目の團員がおらず31代目より團員数が激減致しました。1学年1名とか2名と言った苦難の時代を迎えます。無論、活発に活動を行うにも人数が充分でありませんし、日常生活もそれまでは何人もで分担していた團務の負担が重く下級生にのしかかり、上級生でも本来は下級生に任せるべき仕事を兼務せざるを得ない状態になります。労多くして益少なしという状態でありまして、益々、新入生の定着率も悪くなるという悪循環に陥るのでございます。


時はバブルの足音がすぐそこに聞こえる華やか時代でありまして、我が甲南大学も学生数が8千人を突破致します。学生の遊びも華美になりまして、学生が増えても体育会各部ではそれと比例して部員が増加する訳ではない状況でありました。この頃、テニスサークルやスキーサークル等が大量に発足し、新入生はサークルに入り、合コン三昧の楽しい学生生活を夢見る、という風潮は、我が團にとっては逆風であった訳でございます。



八代目甲南大學應援團OB会團史編纂委員会