第6回 柱石 松田豊彦(三十三代目甲南大學應援團副團長)【4】
この稿に取り上げておりますので、松田副團長は当然の事ながらリーダー部に所属致しておりました。ちなみに松田(兄)副團長もリーダー部でありまして、現役時代は美しい四股立ちが特徴でございました。
【松田(兄)副團長(3回生当時)のリーダー】
その兄にも勝るとも劣らないリーダー部の名手として弟・松田豊彦副團長は育ちました。一年、先輩の芹生リーダー部長という人一倍、リーダー部としての誇りに満ちた人物が指導者であった事も大きかったのでありましょう。
先代にあたる芹生リーダー部長は豪快なリーダーが有名でありました。應援團には惜しいと言われた程の高い体力、筋力を誇っておりましたので、力でねじ伏せる様な力強さがございました。一方、愛弟子である松田副團長は、しなやかな言わば柔のリーダーでありました。
【松田副團長が演ずる甲南の舞】
應援團のリーダーの振り付けは言ってみれば、定められた通りに腕を振っているだけの様に見えますので、経験がない者でも真似が出来ない訳でもありません。ただそれは一局面だけの話でありまして、全体を通してやってみれば相応の修練が必要である事は即座に分かるでありましょうし、ただ単に腕を振っているだけでもありません。力を入れるべきところ抜くべきところの使い分け、緩急、体全体のバランス等々、実に奥が深いのであります。
ところが松田副團長が演じますと、涼しい顔でしなやかに演じますので、そんなリーダーの苦心を微塵も感じさせません。以降のリーダー部員は剛の芹生流に憧れる者、柔の松田流に憧れる者、それぞれおりましたが、いずれもかなり高度な技術と体力を必要と致します。
松田副團長は苦難の時代、同期の梅森團長と2人だけで33代目を支えてこられましたが、それ以前の様に5~10名程度の同期がいる代であれば、リーダー部長として違う團生活を送っていた事でありましょう。
八代目甲南大學應援團OB会團史編纂委員会