甲南大學應援團が生まれた時代【10】 | 甲南大學應援團OB会のブログ「雲外蒼天」

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甲南大学応援団再建物語
~黄霧四塞すと雖も、上に蒼天なきに非ず~

当時の学生にとって食事は極めて大事な問題でありました。人一倍、腹が減る年頃でありますし、体育会等に所属し練習をしていれば尚更であります。

以前にもご紹介しましたが、大学のすぐ近所に「かじか」という食堂がありまして、建学の頃より平成に入ってしばらくは営業され、我が團もよく利用させて頂いておりました。こういった食事を通じてある程度、人間関係も構築されて参ります。建学の頃は現在よりも尚、その傾向が強かった様であります。
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新入團員が入ったとか大きなイベントの後では、食事に酒が付き宴会を行ったりも致しておりました。当時、我が團がよく利用していたのは神戸元町の中華料理の名店 牡丹園であります。

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当時は團員も多く、大広間があったこの店は重宝されておりまして、昭和40年代頃までは利用させて頂いていた様であります。

とにかく良く食べ良く飲む團員が揃っておりましたので、当時の藤本会計部長(後の三代目OB会長:写真前列左から3人目)にとっては頭が痛い日が続いていたと伝えられております。


八代目甲南大學應援團OB会團史編纂委員会