應援團の数だけ学ランの種類もあると言っても過言ではございません。一般的な学生服以外にも、例えば我が兄弟校である学習院大学の様に蛇腹と呼ばれるタイプの学生服もございますし、色も黒だけではなく紺の学校もございます。
乱舞際会場等で各校應援團が入り乱れる場所でも、おおよそ何処の大学の團員か見当がつきます。ある程度の距離ですとバッチの形や色や付ける場所で識別可能であります。
我が校の場合、普通の黒い釦で留めるタイプの学生服でありますが、遠目からでも一目瞭然とされておりました。その最大の特徴が前の釦が通常5つであるところが6つ釦である点です。
【32代目團員の下級生時代】
揃いも揃って6つ釦でありますので、一目瞭然、甲南大學應援團員なのであります。ちなみに袖の釦は5つ釦と決められておりました。
この6つ釦の由来は分かっておりません。古い時代の写真では他校の様に5つ釦であります。6つ釦が初めて確認できるのが19代目(昭和48年)からでございます。19代目は我が應援團が再興してゆく中でキーとなる代でありまして、19代目 牧村團長は我が團中興の祖とも呼ぶべき方であります。そういう時代の中、学ランについても見直しが為されたのやもしれません。
昔は学生服の需要が高く、大学生でも應援團員でなくとも学生服を着用していた時代もございましたので、巷にも学生服を誂えてくれるお店が結構ありました。その後、そういうお店が随分、減りまして昭和から平成にかけては姫路まで学生服を作りに行っておりました。需要の低迷と共に職人さんも減っていったのであります。
今では尚、お店探しが大変なのではないかと思われます。それでもやはり應援團員は学ランにはこだわって欲しいと思う今日この頃であります。
八代目甲南大學應援團OB会広報委員会