昨日は春合宿から発展し、珍しく美談めいた記事を書いてしまいました。芸風と違うではないか?と疑問を呈する方もいらっしゃるかと思いますが、應援團は日々、笑いだけではないという事をご理解頂ければ幸いであります。しかしながらそこは我が團、美談も美談のまま終わらせては、らしくないと思われる方もいらっしゃる事かと存じますので、敢えて裏話を披露しましょう。
さて、團員減少がピークを迎えた昭和60年頃、3学年構成で総員4名で春合宿を迎えました。構成は新幹部2名、新3回生1名、新2回生1名でありまして、春に新入生を迎えても1回生に旗手やリーダーを任せる訳には参りません。活動に必要な技能は全てこの4名で賄う必要がある訳であります。
特に型の伝承者であるリーダー部は幹部1名、2回生1名という構成、幹部氏の体には伝統の演武・乱舞等の型が全て詰まっており、その中の多くを2回生リーダー部員に伝授する必要があったのでございます。
結果的には春合宿のみならず日常でも伝承作業は続けておりまして、奇跡的にも伝承は成功したのであります。その2回生氏が3回生から幹部へと昇格する頃には1学年に何名かはリーダー部員が誕生する様になりましたので、以降、そういう労苦はなかったのであります。
めでたし、と思っていたのが早計と思い知るのがその春合宿から1年半後の、先述の2回生氏が3回生の折の乱舞の集いに向けた練習の時であります。春合宿の4名の上の代に当たるリーダー部長氏、下級生が絶望的なまでに少ない状況の中、引退した為、後輩が心配でならず、こういう練習の時は仕事をそっちのけで指導に来ていたのでありますが、3回生氏が磨きに磨いた応援歌のリーダーを演じた時「ちょっと待て」との恐怖のお言葉。
もう一度、演じさせ、至近距離からその様子を凝視し、型が違う点を次から次に指摘します。お前はどんな覚え方をしているのか、恐怖の叱責タイムの始まりであります。しかしその3回生氏、リーダー部員なら誰しも演じてみたいと恋い焦がれる応援歌の型、断じて間違っていないと先輩から伝授された時に書き留めたノートを取り出し、説明します。
すると元リーダー部長氏、この3回生に伝授した自分の一つ下の当時の幹部氏の指導に誤りがあった事を理解し、既に引退してとっくに就職先で勤務しているこの後輩への怒りを爆発させます。後輩氏の自宅の留守電にありとあらゆる罵詈雑言を浴びせておりました。
元リーダー部長氏によれば、この後輩氏、以前、ご紹介した兄弟團員 の弟君なのであります。現役当時は「兄貴からこう教わりました」と先輩に刃向う不届き者でありまして、遺恨は根深かった訳であります。
かくしてこの合宿で幹部氏から伝授された全ての演武、乱舞の型に疑問が投げかけられ、総点検と相成り、その日の練習は近隣住民の安眠を意に介する事なく一晩中、太鼓の音が響いておりました。
更に言いますとこの際、演武「デカンショ節(ヨイヨイ節)」乱舞「甲勝健舞」が伝承されていない事が判明しました。リーダーの型をご記憶の方、是非ともご一報下さいませ。
八代目甲南大學應援團OB会
広報委員会