今日のテーマは兄弟船ならぬ兄弟團員であります。実際に実の兄弟が應援團員である事が意外にあります。他校では親子團員もいらっしゃるとも聞き及んでおります。
実は我が應援團では60年の歴史の中で3組の兄弟團員がおります。この数字が多いのか少ないのか判断材料がありませんので、何とも申せません。ただ個人的には兄弟が同じ大学に入り且つ應援團に入るとは結構な確率ではないかと思っております。また兄弟が他校の應援團員であるというケースもある様です(これは正確な数字を把握できておりません)
3組を個別にみますと7代目-9代目、13代目-17代目、28代目-33代目という組み合わせになりますが、最初の1組だけが現役時代が重なっております。残りの2組は兄の卒業後、入れ違いに弟が入ってきたという感じになっております。
しかしこういう場合、間の代の人間、つまり兄の後輩であり弟の先輩になる方々は結構な苦労があった様でございます。自分にとっては恐くもありお世話にもなった先輩の弟君、他の新入生同様、應援團流の勧誘を行って良いものか、まず悩む訳であります。
入團後もやはり兄弟は似るものでありまして、兄がリーダー部なら弟もリーダー部、兄が親衛隊なら弟も同じ道を歩む事になりますが、先輩の指導に対し「兄貴からはこう教わったのですが」と申し出ると先輩は実に困った事になるのであります。
また後姿や仕草も似るものでございまして、後輩である弟に「押忍」と挨拶してしまったり、色々と問題はあった様であります。
3組に共通しているのは近畿圏出身で実家から大学へ通っていた点であります。故に弟は兄の現役時代を知っている訳でございます。お聞きしている範囲では弟は入團前は
「間違っても甲南には進学しない。何かの間違いで甲南に入る事になっても應援團だけには入るまい」
と固く誓っていたそうでありますが、何かの間違いが立て続けに起こり、晴れて甲南大學應援團員になったとの事であります。
兄、弟、それぞれに言い分がありますが、ここはやはり兄が弟に与えた影響を称賛するのが妥当かと思われます。
八代目甲南大學應援團OB会
広報委員会