一飯の義理【前編】 | 大学應援團に関する考察を支援するブログ

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かつて地方都市に実在した應援團の赤裸々な日常を通じ、大学應援團とは何を考えるブログです。

一宿一飯の義理という言葉がございます。昔の東映任侠映画で描かれ有名になりました。博徒の間では、旅の途中で泊めてもらったり食事を振る舞われたりして世話になると生涯の恩義とする仁義があったというものであります。映画の中でも明治期~昭和初期という設定が多いという事からも分かる通り随分、昔のしきたりの様であります。




これは博徒という特定のカテゴリーのみの話という訳ではなく、広く日本人の価値観に根差しているものだと考えられます。例えば大学生の間でも先輩が後輩の食事をご馳走するという文化もこれに類する話だと思われます。


高度成長期を経て日本社会が豊かになってきた以降の世代の人間にとっては理解が乏しくなる傾向にありますが、時代を遡る程、食事をご馳走になるという行為の重さが変わって参ります。戦後の食糧難の時代、先輩に御馳走になる一食一食に、現在とは比べ物にならない恩義を感じるという事が全国津々浦々にあった訳であります。


 


我が甲南大学は昭和26年の建学でありますが、建学当初は世間の人が受ける「お坊ちゃん」大学という印象が現在よりも遥かに濃厚であった様です。無論、ある程度の事実を反映している訳ではありますが、その時代、我が應援團最初の学習院大学への遠征時は団員一人一人が米を持参していたと伝えられております。宿泊先で一度に大人数の食事を用意する事が困難との事でやむを得ない措置だったのであります。様々な種類の新米・古米・古古米が混ざった丼飯は実に不味かったと当時の先輩方が苦笑しつつ述懐しておられました。またお坊ちゃんである筈の甲南大学生である団員の中には指示した量の米を持って来る事が出来ず、團長以下幹部が余分に米を持って行かざるを得なかったとも言われております。【以下次稿】


 


甲南大學應援團OB


八代目甲雄会広報委員会