入学式 | 大学應援團に関する考察を支援するブログ

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かつて地方都市に実在した應援團の赤裸々な日常を通じ、大学應援團とは何を考えるブログです。

本年度の我が甲南大学の入学式は4月1日(金)に挙行されるとの事であります。入学予定の皆様、誠におめでとうございます。

昨年の新入生は約2,200名だったそうでありますので、本年もほぼ同じ新入生を迎える事になる訳でありますが、現在より65年前の建学の時の1期生が約120名だった事を思い起こすと感慨深いものがございます。

この2,200名の中に應援團を志す学生が出てくる事を切に願う次第であります。建学より4年が経過し、ようやく4学年が揃った昭和29年当時、正式に我が應援團は結成された訳でありますが、当時1,000名に満たない全学生のうち應援團に籍を置く者が100名おりました事を考えますと、現在9,000名近い全学生の中で一人の應援團志望者を見つけるという事は、希望が持てる数字ではありませんか。

当時は大学としての規模はまだまだ小さく、各部共に部員不足に喘いでおりましたので、兼部が当然の様に行われており、少し運動神経が良い者はいくつもの部に籍を置いておりました。

体育会では空手道部と應援團の兼部は当然の様に行われ、応援の際には空手部の面々も馳せ参じ、團員も日常は空手部と共に練習で汗を流しておりました。
意外ではありますが、黎明期の学生空手の世界では、甲南でも全国で戦える選手がおり、空手熱は盛んだった様であります。現在の様に「この競技で身を立てようと思うなら○○大」という枠組みもまだない時代でありましたので、例えば当時、都内で「ケンカ十段」の名を馳せた極真空手の安田英治さんは学習院大学空手部の部員であります。

安田先輩程の腕前の者はいないにせよ、甲南の校風にそぐわない腕っぷしと血の気の多さが創團時の我が團のエネルギーの根源であった事は間違いありません。

少なくとも建学当時は、空手も應援團も組織として或いは競技として、そしてそこに携わる人間に、学生を魅了して止まない魅力があったが故に、多くの人員を確保出来た訳であります。その基本を踏まえていけば、明るい未来が訪れる事でありましょう。

甲南大學應援團OB会
八代目甲雄会広報委員会