新年明けましておめでとうございます。

引退ブログリレートップバッターを務めさせて頂く、4回生DF松﨑元紀です。

 

 

まず始めに、日頃からご支援を頂いておりますOB、関係者の皆様にこの場を借りて御礼申し上げます。この4年間、今まででは考えられないほど良い環境で過ごせたと感じています。今後とも、後輩達への変わらぬご支援をどうぞ宜しくお願い致します。

 

 

私事になりますが、先日無事手術を終え、退院いたしました。膝の経過は良好であり、社会人を迎える頃には歩くことが出来そうです。

 

 

さて、この4年間を振り返ると、ひたすら怪我怪我怪我でした。前十字靭帯の断裂が両膝で計3回。訳わかりませんね。そんなこんなでタイトルにもある通り、僕がグラウンドに立っていた時間は合算して1年半です。短い。これだけ短いと、飲みの席なんかだと友人からはよく「はよ引退しろ笑」と冗談交じりに言われました。まぁ逆の立場ならきっと僕も言ってることでしょうから、何ら怒る気にはなれません。というか何度辞めようかと考えたくらいなので。

 

 

じゃあなんで辞めなかったってなると大まかに2つ要因があって、

 

 

1つはチームの支えです。

 

同期・先輩・後輩・マネージャー・コーチ。ホントに助けられた4年間でした。色々引っ張ってくれて叱咤して貰って、なんとか諦めずにラクロスやれました。

 

特に怪我抱えたままの最後の1年はきつかった。毎日膝の鈍痛は消えないし、プレーの質も当然落ちるし、筋トレにも制限かかるし、それでもと頑張ろうにも限界がありました。自分のことでいっぱいいっぱいでした。続ける決断をしたのは僕自身ですが、考えてたよりきつくて、何度折れかけたか分かりません。

 

だからこそ、支えてくれた皆にとても感謝しています。これほどまでに皆の存在を嬉しく思った1年もありません。

 

ホンマにありがとう。

 

 

もう1つは僕自身がラクロスをやりたいと思う側の人間だったことです。

 

特に自分自身をそう捉えるのは、決まって手術後です。今回もそうでした。入院中暇なので後輩の練習動画をよく見ていたのですが、なんとなく頭に入ってこなくて、興味が湧かない。自分がプレーしていた頃はそんなことはありませんでした。理由は単純で、自分が出てないからです。

 

やっぱり、プレーしないと面白くない。これは毎度毎度感じます。

 

この4年間のなかで1番ドン底だったのが2021年の春休み。2度目の怪我のリハビリ期間、グラウンドに来てボール拾いして帰るだけのあの期間でした。先程最後の1年きつかったとかなんとか書きましたが、比ではありません。退屈で、やりがいや目標が無くて、スタートラインが一緒だったはずの同期とも差がどんどん開いていって、何でグラウンドに来ているのか全く分からない日々でした。ボール拾って、マネージャーの仕事を少しでも負担してチームに役立っているんだと、言い聞かせるようにやっていましたが、それでも虚無感は全く消えませんでした。

 

ただ、ラクロスは楽しいのです。

 

半年以上のリハビリの期間を耐えてまで、もっかい頑張ってみよう思えるくらい楽しかったのです。

 

この気持ちだけが僕の中での原動力でした。

 

 

しかし自分自身の選択に対して後悔は無くとも、結果に後悔が残ります。僕自身の努力不足もありますが、叶うことなら、怪我することなく、サマーもウィンターも出て、4年間グラウンドでプレーしてみたかった。こんなたらればを考えてしまうほど、上手くいかない4年間でした。

 

 

それでもこの4年間はかけがえがなく、ラクロス辞めてたら得難いものでした。

本当にありがとうございました。

 

 

少し長くなってしまいましたが、以上となります。

 

 

次は、グラウンドから一番近いとこ住んでるくせに毎回集合3分前に「セーフやんな?」と笑いながらグラウンドにくるえーちゃんです。宜しくお願いします。

 

 

甲南大学男子ラクロス部 DF 松﨑元紀