西武秩父駅からすぐ近く ちちぶ銘仙館にて

 

どひょっ!

 

 

お蚕さんの大きな模型を発見 理科室みたい

 

 

入館したときから 館内には機織り機械の音がガシャンガシャンと響いていたん

 

あ ここだここだー

 

 

この室内も見学コースなので

入ってから 声をかけて

織っているところを見させていただいた

 

機械には2人の方が手前と後につきっきりで

たて糸を整えたり(仮のよこ糸をはずしてるのかな?)

時折機械をとめて 何やらしていた

 

機械ってすごいな それを操る人もかっこいい

「こんな機械を作った人もすごいですよね」というと

傍で作業を見ていたもう1人の女性が

「これはトヨタが作った機械なんですよ」と教えてくれた

 

話を伺うと

ご自身でデザインから捺染までしたものを

今日は 織り師さんに織っていただくので

見に来たのだそうだ

 

図柄を捺染した たて糸に

織り込んでいくよこ糸の色を変えれば 作品はまったく違った表情になる

よこ糸選びも 楽しいだろうな

抑えた色合いの作品になっている

 

出来上がったら着物に仕立てるんだって

きゃー素敵ー

 

ほぐし捺染の銘仙が出来上がるまでは ものすごい工程があって

秩父では それらを学べるようになっている

銘仙館でもお教室がある

女性は 4月から始まっていた『図案・型彫・捺染講座』の生徒さんなんだろう

 

そうだよねー

ここに来たら やってみたいなーって思うんだよ

簡単な体験もできるんだけどさ

恥ずかしくて 「体験したいんですけど」ってまだ言ったことがない(笑)

 

 

よし 次回はやろう☆

 

 

ちなみに 6月30日まで

『アール・デコの銘仙 展』開催中でーす(それを観に来た)

 

 

 

 

 

銘仙館を出て

私も何かとお世話になっている 矢尾百貨店さんに通りかかると 

 

 

大きな温度計が設置されていた

秩父の皆さん 45℃まで上がっても大丈夫みたいですよ

 

 

矢尾百貨店を通り過ぎて向かったのは

近戸町(ちかとまち)にある地蔵院

 

秩父事件で 小鹿野町から現在の市街地 大宮郷へ向かった困民党の大軍は

武之鼻(昨年川瀬祭りのときに訪れた)で荒川を渡り

大宮郷へとなだれこんだ

 

幹部は いったんここ地蔵院に入り仮本陣とする

 

困民党が攻めてくるという噂は すでに大宮郷にも流れていて

(狭いようで広い秩父一帯で 噂話がものすごい速さで伝わっていることに 私はびっくりする)

高利貸し達は 貸し付け証書など持って慌てて逃げ隠れしていたのだが

その中で 中町の井上四郎次という高利貸しは たまたまこの地蔵院に隠れていて ちょうどやってきた困民党(しかも幹部)に見つかってしまった!

という話が好き・・・

 

そして 地蔵院の墓所には 会計・大宮郷小隊長をつとめた柴岡熊吉のお墓がある

草相撲の大関で 彼が奉納した上田野の船川千手観音堂にある相撲絵は春に見た

 

熊吉は 高利貸しに借金の形に土地も建物もとりあげられていた

その家の跡が この地蔵院の脇あたりらしい

住むところを失った熊吉は 地元の大親分である田代栄助の世話になっていた

栄助第1の子分 熊吉

事件では 高利貸しとの折衝や 炊き出しの要請など 栄助の右腕として働いた

矢尾百貨店にも熊吉がやってきて炊き出しを頼んだんだって

 

熊吉は 事件後捕まって大変な拷問を受けた

翌年に獄中死している

 

さて 地蔵院へ来れば お墓はすぐにわかると思ってたんだけど

甘かった・・・

墓所に入ってみたら あっちもこっちも柴岡家の墓だらけだし

調べてきたところでは 熊吉のお墓は河原で拾った石ということなのだけれど

その河原の石のお墓というのも 墓所中にたくさんあって

めんくらった

昔は 貧しかったのか それとも荒川で亡くなったか 行き倒れたか

そういう人が多かったのだろうか

びっくりするくらい大勢の人のお墓が 赤紫色の河原の長丸い石だった

彫られた字も もうよくわからなくなっている

 

ひととおり回って見たつもりだけど 残念 わからなかった

戒名は 『好道義忠居士』

 

あきらめて 入口のお地蔵さんに手を合わせて

次の場所へ向かおうとしたとき

地蔵院のはす向かいのお宅で 草取りをしている男性がいたので

声をかけて訊いてみた

 

「秩父事件で亡くなった 柴岡熊吉という人のお墓があるそうなんですけど わかりますか?」

その方は

「私はお墓はわからないけれど 柴岡さんというお宅はすぐ近くに2件あるんで 聞けばわかるかもしれないですよ」

と言いながら 通りまで出てきてくれた

「いえいえ・・・ そこまでしては悪いので 探してみてわからなければいいんです」

すると

「ここが 困民党が荒川を渡って上ってきて通りすぎた道なんですよ」

と 案内してくれた

お隣さんのお宅の庭になると思われる場所に

墓所にたくさんあった あの赤紫の丸い石が並んでいて

おそらく昔は細い道だったような感じがあった

 

荒川の浅瀬を腰まで浸かりながら渡ったであろう大軍勢は

幾筋かに分かれて大宮郷へ向かったのだろう

そのひとつが きっとこの道なのかな

 

「4代も前の昔のことなんで もうよくわからなくてね 困民党のことは私も石間(いさま)の資料館へ行ったとき初めて知ったんです」

と男性は言っていた

先日行ったばかりの織平親分たちの暮らした石間には 中郷(なかごう)耕地に秩父事件の資料館がある

漆木耕地のひとつ先の耕地だ

「ぜひ 行ってみてください」と親切に教えてくださった

お礼を言って 次の場所へ向かった

 

(家に帰ってから 熊吉のお墓をもう一度調べた 次回はわかりそうだ)

 

 

次に向かったのは 下影森にある金仙寺(こんせんじ)

地蔵院からは このまま段丘の端の道をクネクネと進んで

荒川にそそぐ押堀川(おっぽりがわ)を渡った先にある

 

 

押堀川へと下る坂道から 荒川と長尾根が見える

このあたりは 市街地の中心部と比べると 下町の風情が感じられるなあ

 

石仏や お稲荷さんを拝みながら 押堀川へ

川に吹く風は 本当に涼しいねえ

 

橋を渡って上りきったところにある 立派なお寺が金仙寺さん

先程の男性も 金仙寺にお墓があるんだって

 

「昔はリヤカーに乗せて 川を越えてお寺まで行ったんだよぉ」

と言っていたよ

怖くて訊き返せなかったけど

あの・・・・ご遺体を??

 

 

金仙寺には

秩父困民党 総理 田代栄助のお墓がある

 

総理だもの 行けばすぐわかると思ってたんだけどなあ

これも甘かった・・・

とにかく墓所が広い

整然としているようで 通路は行き止まりになっていたりして

順番に歩けない

ああ 今度は『田代家』が全然見つからない

 

それにしても どのお墓も大きくて立派だなあ

 

お墓の掃除をしている方に訊ねてみたけれど ご存じないそうで

「ああ ご住職に訊いてみればわかるんじゃないですか?」

と言われて

「いやぁ~、、、(関係者でも研究者でもないし)そこまでは~、、、」と答える

 

コンプレッサーのような機械で掃除していたので 業者の方と思っていたら

このお墓のお家の方だそうで 大変失礼しました

そうだよね こんなに立派なお墓だもんね

 

今日はまたよく歩いたわぁ(墓地を)

足が棒だし 諦めるか

 

本堂を お参りして

栄助と熊吉のことも拝んだ 

 

 

大通りの橋で再び押堀川を渡って

街中へと戻る

 

 

あったから撮ってみたけれど 外国人の方 武甲山ではダメか?

 

 

大通り沿い 上町(かみまち)にある お気に入りのお店

ワプラスコーヒー

 

 

とにかく 休もう 涼もう

 

 

田代栄助は 熊木町(くまぎまち)に住んでいた人物

ちちぶ銘仙館があるのが 熊木町だ

 

農業のかたわら

相談事を受けたり もめ事の仲裁をしたり

弱気を助け強きをくじくような地域の親分で 博徒だった

人徳があり 200人からの子分がいる大親分!

 

 

困民党トリオは 加藤織平親分に助けを求めたけれど

まだ30代半ばの織平は

事が大きいので 自分では役不足と考えた

 

そこで白羽の矢が立ったのが 大宮郷の親分

栄助(事件当時51歳)だった

 

気乗りのしない栄助だったが 再三誘われて

とうとう栄助は困民党に加盟することとなる

 

命をかけて参加を決意したあとは 本当に過酷であっただろう

 

 

 

古いものに囲まれて静かなコーヒー屋さんは 長居もしやすいんだけど

さすがに1時間でおいとました

(本当は2時間居たかった)

 

 

なんというブルー!

 

どこへ行くって 金仙寺へもう一度行くかな ベンチで座っていよう

 

 

高い山に雲がかかって 矢岳の三角がよく見える

今日は曇りだけど 気温は高く 湿度が高く

お察しのいい方はお気づきかと思いますが

ホタル日和です

 

お寺さんに着いて

結局ベンチには座らず もう一度墓所を歩いていると

ガビチョウが 墓石をビョンビョンと飛んでいる

 

追っかけて行くと

 

ん? あのあたり さっき探してなかったな・・・という区画があって

 

 

あったーーーーーーーーー!

 

なんだ こんなわかりやすいところに・・・・

 

田代家のお墓は もとは自宅に近い羊山の斜面にあったのだという

事件ののち 残された家族には大変な苦労があったのだろう

お墓をこの金仙寺へ移した

以前は事件を偲ぶ人たちも参拝できたお墓は また悪戯も多く

今はブロック塀で囲まれている

外からお参り

 

中央に栄助のお墓 お花が供えられていた

隣に田代家のお墓

明治18年5月17日に死刑となった栄助だが

墓誌には5月21日となっていた

戒名は 『勇心浄空信士』

 

墓石の裏側には 辞世の句が彫られているはずだけれど よくわからない

 

『振り返里見連ば 昨日乃影もなし 行具左記くら志 死出の山道』

(振り返り見れば 昨日の影もなし 行き先暗し 死出の山道)

 

 

いかなる心中であったか

先人には 今の世の中をありがとうと 感謝の気持ちしかない

いや あと

こんな世の中で申し訳ないという気持ちもかな・・・

 

栄助のお墓と並んで見える武甲山

思いやり深く優しく厳しい そんな人柄を思いながら

夕暮れ時の秩父を 墓前で過ごす

 

 

そして 夕飯

 

 

また韃靼そばが食べたくて

三千乃家さんに行ったけど

豚みそ丼にしちゃった

 

女将さんが 3年前にも来たのを覚えていてくれた(笑)

 

「今年はホタルがたくさん飛んでいるそうですよ」

と教えてくれて 期待が膨らむ

 

 

今年のホタルはね

威勢よくて 本当に綺麗だったー

この6年間で1番♪

 

秩父がオーバーツーリズムとやらにはなってもらいたくないんだけどさ

上町のホタルを是非ご覧あれ