山は緑!

 

 

緑! 緑!

 

万年橋でバスを降りてから バス通りと吉田川からはずれて 石間川に沿って歩いているところ

夏日の予報 日傘を差してアスファルトの道を上っていく

思っていたよりも 広い幹線道路だ

 

♪ ♪ ♪ ♪ ♪

 

朝 駅前から乗ったバスは 先月訪れた下吉田の町を通り過ぎ走っていった

あの日行けなかった 井上伝蔵の生家跡や 貴布彌神社を バスの中から見たよ

椋神社からけっこうあった この間は歩かなくてよかった☆

 

 

以前から 吉田の石間(いさま)というところを歩いてみたかったん

石間川に沿って 点々と耕地が続き

山の上の天空の耕地では見事な石垣が見られるんよ

 

本当は 上の耕地まで全部歩きたい(出来ることならその先の城峯山まで登りたい)ところなんだけど

帰りのバスの時間まで4時間ちょっと 2時間歩いて 2時間で戻ってくるというのを目安にすると

私の実力では今日は 半根子(はんねっこ) 沢口(さわぐち) 漆木(うるしぎ)まで行けたらいいな・・・ってところだわぃ

 

 

バス停から歩き始めて間もなく 最初の耕地が見えてきた

その半根子耕地の入口に 秩父困民党の中心人物 落合寅市のお墓がある

 

困窮農民のためにいち早く行動を起こした 寅市

落合寅市 高岸善吉 坂本宗作は そろって自由党に入党し 困民党の発起人として組織作りに関わった 困民党トリオ

 

『マムシの寅』と呼ばれた寅市のお墓が 今

こんなにも穏やかな 緑の木漏れ日に包まれて あったよ

 

 

お墓参りといっても お線香をあげられるわけでも お花や ましてや食べ物を供えるわけにもいかないだろうと

駅でペットボトルのお水を買ってきたのを お墓にかけてあげた

「寅市さん 富士山の天然水はどうですか? そうですか故郷の水のほうが美味しいですか」

 

墓石の後には 寅市の生涯のことが書かれていたよ

 

 

性格は 『豪毅ニシテ膽畧アリ』だって

強い意志をもってくじけず 大胆で思慮深く計略に富んでいる (かな?)

 

お墓から少し行くと 比丘尼城のあった城山が見える

 

 

これが 寅市の故郷の風景

 

 

先を急ごう

緑の中 ニセアカシアが伸びやかな枝に花房をつけている

 

 

鎌の木沢の水場

 

 

煮沸しないと飲めないそうなので手だけすすいだよ

 

道端には ウツギの花が枝垂れ咲く

 

 

ゆさゆさ マルバウツギ

 

ひときわ鼻を突いて爽やかに薫るのは ひっそりと咲くガクウツギ

 

 

川の向こう岸

岩の窪みに 石仏が並んでいる

 

 

阿弥陀仏像とお地蔵さんだそう

次の耕地に入ったんだね

 

沢口耕地は 活気を感じる家並み

お店もあるよ

 

お店の近くに 巳待供養塔とお地蔵さん

 

 

県道から川を渡って旧道を歩いてみたり ちょっと散策

 

堂之沢藤園の 藤棚を期待していたんだけど

やっぱり花には遅かった

でも お庭にはお花が他にもたくさん咲いていたんだ

 

 

さっきのお店から 男性が出てきたので

天王様の祠の場所を訊いたら

少し考えて

神様はみんなまとめて この先のお宮にあると教えてくれた

 

これ以上も訊きづらくて 生活の場であるところを 余所者がウロウロするのも悪い気がして

お礼を言って そのお宮へ向かったん

 

 

猿田彦神社

 

 

後ろの山の上にある神社を 麓へおろしてみんながお参りできるようにしたみたい

いろんな神様が合祀してあったよ

 

 

鳥居の扁額の両脇には 龍勢の筒が掲げてある

秩父困民党 鉄砲隊長 ここ沢口耕地出身の新井悌次郎は

出獄後 晩年は龍勢の指導をしていたんだって

 

お参りして 振り返り見れば 鳥居越しに大きな桐の木とお山!

 

 

神様たち この景色が一番のお供え物ですね

 

 

耕地の端あたりに

秩父困民党 副総理を務めた 加藤織平のお墓がある

 

 

織平は捕らえられ 事件の翌年5月17日に死刑となった

今日が命日だ

 

 

織平は裕福な農家で かたわら金貸しもしていた

家の土蔵を賭場にし 丁半好きの農民たちが集った

負けてすってんてんになった人には その日の食いぶちくらいを持たせたりして

『質屋の良助』と呼ばれていた人だ

人望のあつい 地元の親分

 

困民党トリオの活動は思うようにいかず 3人は織平親分にも協力を求め

織平は困民党に参加することとなった

参加を決心した際 金を貸していた人達の貸付証書を自ら破り捨てたという義侠心の人

 

このお墓は 生き残った落合寅市が 出獄後に発起人となって建てたものだ

 

 

太く大きく堂々とした 『志士』という文字が刻まれている

半根子の寅の悲願だったお墓

 

お墓の横に彫られてあった戒名は『内厳寂照居士』

 

隣に 織平の子孫の方が 平成になって建てた石碑があったよ

 

 

『世直しに 捧げし命 尊とけれ』

 

 

ここから次の耕地は近い

よし 漆木耕地まで行こう

 

 

百万遍供養塔

青面金剛像

如意輪観音像

が お堂の脇に並んでいるのが漆木耕地の出発点

 

まずは 江戸時代に活躍した鼠小僧次郎吉(4代目!)の生誕地へ行ってみよう♪

 

 

沢沿いにちょっと山へ入る

 

 

先程あった百万遍供養塔は 鼠小僧次郎吉こと 新井吉蔵のお母さんが建てたのだそうだよ

 

ここ漆木には 困民党の中に甲源一刀流の使い手が多く 活躍した

ここから奥にも生家跡などあるはずなんだけど・・・

 

どなたかのお宅に入っていきそうで 諦めた☆

 

表通りに戻る途中から見える山

この山にも名前があるんだろうな

 

 

ああ 緑だなあ

 

と ここで

出発のバス停から2時間が経った!

 

速足でさっさと行けば 耕地の上までまわれるか!?

と 後ろ髪を引かれつつも・・・

帰路につくとする

歩いてきた道を戻る

 

お昼も近くなってきたら ずいぶん暑くなってきたよ

織平親分のお墓の前に 河原へ下りられる道があったので

ここでお昼ごはん♪

 

 

涼し~~

 

見知らぬ鳥がスイーっと飛んでいく

静かだなあ

 

 

食べ終わったら

よし さっさと歩くぞ♪

 

親分に別れを告げて

沢口耕地を通り過ぎ どんどん行こう

 

うふふ 川を覗くと 魚がたくさん

 

 

 

 

半根子まで戻ってきた

 

山を振り返ると 白い雲の横に大きな鳥が旋回してる

見えるかな??

 

 

家に帰ってから調べたら サシバかしら?と思ってるんだけど・・・

 

 

小さすぎてわからないや☆

 

悠々と大空を飛ぶ鳥は 寅市の魂のようだ

 

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 

下り坂は とっとと足が動いて

行きに2時間かかった道のりが 帰りは1時間だった(爆)

あああ 漆木耕地 全部まわれたなあ・・・

 

でもって この炎天下に1時間ちょっとバス停に突っ立っているのも如何かと・・・

 

そうだ そしたらバス通りを進んで 上吉田へ行こう!

上吉田には 困民党トリオの残る2人

高岸善吉と 坂本宗作がいる

 

いや~ 予定外なので 地図持ってきてないや~

記憶を頼りに とりあえず行こう
 

 

素敵な表情の馬頭観音さんと 庚申塔

ここからがどこかの耕地だな

 

バス通りの県道は 日傘を差していてもアスファルトからの照り返しが厳しい

ふと見ると この暑さの中 手押し車のおばあさんが歩いてきた

 

「こんにちは すみません 万年橋から歩いてきたんですが 上吉田に 秩父困民党の・・・」

と訊ねると

 

「いやいや 私はそういうことはわからないよお」

と手のひらを振る

 

「そうですか そしたらー・・・」

なんだっけ? なんだっけ? 善吉たちの耕地の名前はぁぁぁ・・・・

オオ・・・オオタ・・・ブ?

 

「そうだ! 大棚部(おおたなぶ)っていうところはここから遠いですか?」

 

「大棚部はここの隣よ ここはイシャマド(石間戸)よ」

 

「ありがとうございます! 行ってみます」

 

 

県道から石間戸耕地の中へ入って歩いてみた

すると 道端の木陰におばあさんが座って休んでいたん

地元の方はこうして休みながら お散歩するんだな 丈夫だなあ

 

「こんにちは すみません 秩父困民党の 高岸善吉と坂本宗作のお墓へお参りに行きたいんですが どのあたりかわかりますか?」

 

「ああ あるね あるよ そうだね ここから1キロくらいのところだね」

 

「そうですか ありがとうございます 行ってみます」

 

 

高岸善吉のお墓は たしか県道沿いにあるんだったっけ と再び県道へ

 

 

善吉と宗作の故郷の風景

 

道端に『高岸善吉の墓』の標識が出ていた

 

高岸家のお墓は石垣で囲まれていて

新しい高岸家のお墓の後ろ側に 善吉のお墓があった

 

 

昭和36年になって建てられたお墓だそうで

後ろ側が見られなかったけれど

戒名も無く 亡くなった日付は 裁判所で死刑宣告を受けた明治18年2月20日になっているそうだ

 

加藤織平とともに逃亡して一緒に捕まった善吉も 宣告からたった3ヶ月後の

5月17日に死刑となった

 

県道からお墓の反対側には 吉田川が音を立てて流れていたよ

 

 

さて 坂本宗作のお墓の場所がわからない

たしか 山際にあると書いてあったかなあ

 

大棚部耕地の中の道を歩いてみる

 

標識も無さそうだ

 

出会った コープの配送の方に訊いてみたけれど 当然わからないし

水を汲みに来た男の人に訊いてみたけれど わからないという

あとは 秩父コンクリートの人 しいたけ原木栽培(かな?)の人

みんな仕事中で忙しそうだったから 声をかけられなかった

 

山際となると たぶん私有地の中になる

そういえば どこも自分の土地の中にお墓があるんだもんね

いつも自分のご先祖様が身近にいて そういうの いいなって思っている

 

よし

今日見た この景色だけで 満足して帰ろう

 

 

(家に帰ってから調べたら この写真の左に見えている山の麓にあるらしい)

 

県道に戻って 近くのバス停でバスを待つ

上吉田駐在所 というバス停だった

 

ベンチに座って 家から凍らせて持ってきたペットボトルの水を飲んだり

顔を冷やしたりしていたら

反対車線に 長沢(ちょうざわ)行きのバスがやってきた

あ そうか ここは小鹿野からくるバスも通るのか

じゃ そこの道を曲がれば 巣掛峠か

小鹿野の和田山というところでも 困民党の山林会議やってたなあ

なるほど 近いんだね

 

 

坂本宗作は 困民党トリオの中でただ1人 秩父事件最後まで戦った

十石峠を越えて 信州 海ノ口で困民党が壊滅したのち

官憲の包囲網をかい潜って 秩父まで戻ってきた

 

今来たバスの終点 長沢は 小鹿野町の藤倉というところにある

宗作は 故郷 大棚部まであと少しという藤倉で捕まった

そのときに 秩父困民党の印である 白鉢巻き 白襷 そして刀を肌身離さずにいたそうだ

鉢巻きには自分の戒名を書いて戦ったという宗作

刑が重なり 遅れて明治18年9月3日に死刑となった

その戦士の墓は お祖父さんを思って お孫さんが建ててくれた

織平親分と同じく 『志士』という言葉が刻まれているのだそうだ

 

 

ああ

今日はたくさん歩いて 足が棒だ

 

でもこの緑の風景は忘れられないなあ