こんにちは。

8年前の7月17日、社会的ひきこもりを終わらせるべく『精神科病院』に入院する日が来ます。その1週間前に初診を受けました。主治医はとても優しさに溢れる先生でした。
母と初診を受けて、主治医が『じゃ~入院しましょうか?』って、いやいやまだ「心の準備」ができてないのでと云うことで「病棟と病室を見学」してからでもいいですかと主治医に話して先生は笑顔で「もちろんいいですよ」と丁寧に対応してくれました。
即入院は、受け入れられない一線でした。さらにその何日か前に月1でドライブに誘ってくれる友達に帰りの車中で『精神科病院入院について』聞いてました。
私:『ひきこもりが長期化してこの先どうにもならない。入院しかないと考えてる。どう思う?』と、友達:『変わらないんじゃない。入院しても』否定的な言葉で心無しか悲しくなりました。「変わらないなんてそんな」しかしそれと同時に心の中で「前へ進め!」と言われたような想いでした。友達は、中学3年の三学期からの親友で24年もの付き合いになります。たいてい応援してくれる人です。
でも『ひきこもりがなんなんだかわからない』から多分、悪気はなく否定したつもりもなく。今のままでも良いのでという感覚だったのではと推察してます(後に尋ねましたけどね)
僕は通算20年も続くひきこもりに終止符を打ちたかったです。繰り返す昼夜逆転生活。月一回ぐらい自転車で図書館やレンタルショップ通い。コミュニティ内で恥を晒してることは自分でも理解してましたし、老いて行く両親や妹にも迷惑を掛けて申し訳ない気持ちでいっぱいでした。妹の結婚式や友達の結婚式にすら『参列』出来ず、友達は変わらず会えば普通に接してくれましたが、みんな社会人です。私一人がひきこもり。みんな奥さんが居て、お子さんが居てそんな30代後半(2012年7月17日(当時))。もうこんな『人生終わらせたい』と強く思いました。
そして8年前の7月17日の朝、6時頃、昼夜逆転生活が当日戻ります(院内の日常世界を過ごし為、朝に起きれるように昼夜逆転を戻しました)
母と昼食に合わせるように病院を目指します。そして院内に入り、看護師長やPSW等が病棟まで母と来て看護師長が、ナースステーションに詰めている看護師たちを紹介してくれました。
ナースステーションを通り病室へ。病室から見える窓の向こうは「新緑の世界」でした。春は桜の木になるとの話しで、想像すると圧巻でした。病室に看護師長が昼食を持って来てくれました。
ここ(病室)で私のひきこもり生活が終わろとして行く瞬間が次々と起きて行きます。
あの日から8年。私は今、介護施設の清掃を長らく休職してます。コロナ禍で精神的に体調を崩しました。時々ひきこもり気味になることもあります。
3週間前に母の調子が悪くなり、介助と家の家事全部をこなしています。母の体調は快方に向かっています。母の決めセリフの中で「私が体調が悪いときは誰がご飯を作ってくれるの!?」テコでも動かない私もずっと毎日(三回)作ってます。料理にずっと興味がありました。頭を使い手も使い結構楽しいです。
もちろん苦痛の時もありますけど、苦痛とは認めません。たまに疲れ過ぎて朝起きることを失敗することも在りますが、今(今日)やれることを頑張ってます。
ひきこもりを終わらせることに『魔法』はありません。決定的な何かがあれば教えたいのですが残念ながら事に決め手はありません。ひきこもりが終わると『就職』を自分は強く願い実行して来ました。
でも今はそれが正しいとは思ってません。『働くことが全員の答えではない。コロナ禍だろうが関係ない』と、私は今は思ってます。
働かないと生きて生活できない。それが現実ですから、その気持ちが強い人は頑張りましょう。でも、無理やりやってもいい答えに辿り着けないと思います。私は現に失敗に近いです。でも何が失敗なのかはそれぞれが決めることです。

私も含めて、ひきこもり当事者様や経験者様さらにご家族様が、今日より。明日が少しでも輝ける未来であることを願ってます。
令和2年(2020)7月17日(金曜日)。8年前の今日という日に宛てて。

[参考資料]