そうだ!第3の道で行こう。
現在の皇室制度は、女性皇族の婚姻が続き崩壊寸前です。いつか共和制なら第3の道で行きましょう!

ここでは現在の皇室方を取り上げるのではなく、かつて「旧皇族」であった方を頂きにしたらどうでしょうと云う第3の道を示すブログです。

(第2の道は、女系天皇誕生か?二重権威(上皇陛下と今上陛下)誕生)

時は遡ること…慶応4年(1868)5月6日、明治維新寸前の戊辰戦争の最中に、東北25藩が奥羽列藩同盟を結成。そこに越後6藩も加盟して「奥羽越列藩同盟」を樹立しました。先の鳥羽・伏見の戦いから火の手が上がり、江戸の上野戦争で、薩長土肥連合軍(事実上の明治政府軍)と旧幕府軍輪王寺宮公現法親王殿下を守護する警護隊(彰義隊)が激突して敗走し、残存部隊の後走に巻き込まれながら、東北に辿り着いた唯一の皇族が輪王寺宮親王殿下でした。
列藩会議や奥羽越公議府の結果、輪王寺宮殿下を戴きその明主となることを推挙し、東武皇帝を世界に宣言する旨でありました。
仙台藩主伊達慶邦、米沢藩主上杉斉憲等が名を列ね旧幕府軍の残存部隊と敗走中であったかつての幕臣小笠原長行、板倉勝静等も協力、京都守護職松平容保も職解かれて会津藩に戻り、東日本政府樹立に邁進します。新政府誕生の暁には、晴れて元号の改元が宣言されて、大政元年と変わる手筈でした。事実、当時から既に有名なニューヨークタイムズは「日本に二人のミカドが存在する。」と世界に発信していました。対外関係を結ぶ為にアメリカ、ロシア、フランスと接近して最新式の武器や弾薬を手にしようと考えていた様です。
しかし実際は、東日本政府の誕生までは至らず「奥羽越列羽同盟」「旧幕府海軍艦隊」「旧幕府陸軍残存部隊」が、合流した寄り合い所帯の同盟でありました。この同盟の明主が先ほど紹介した輪王寺宮殿下であり、東北戦争が終結した後に、謹慎してその時を待ちました。
明治時代、輪王寺宮は、謹慎から解かれて、伏見宮家に復籍。弟の北白川宮智成親王が早世したので、遺言を受けて北白川宮家第2代当主として継ぎ、帝国陸軍に従軍。日清戦争では、近衛師団長として台湾に出兵します。しかし台南で病死。
後に一族が戦死や交通事故で亡くなり「悲劇の宮家」として世論に伝わっていきます。北白川宮家のご兄弟の中に竹田宮恒久王殿下が、その子息に竹田宮恒徳王殿下(陸軍中佐(孫))でひ孫は、竹田恒和(日本オリンピック委員会会長)。その子息に皇學院大学非常勤講師の竹田常泰さん(玄孫)。

北白川宮家を中心にもう1つの皇室を祀り立てるという手もありますね。昔、南北朝時代は皇室も2つあったと歴史の中にあります。なら、可能ではないでしょうか?皇室典範は、改正せず皇室を存続させる為の特別立法(仮称)を制定させる…または国家を二つにする?これはあまり好ましくないか?国力も落ちる。しかし、人口減少でどのみち国力や経済力は落ちる一方だし1億人切るのは時間の問題…日本はスマートな国家に成って行くようです。
旧皇族でも高貴な一族である事実は変わらない。話しを戻して、本人は望んでなかったかも知れませんが、輪王寺宮公現法親王殿下こと東武皇帝に祭り上げられそうになり東日本政府国家元首的な地位を求められた後の北白川宮能久親王殿下は、正に明治天皇と立場を比較すると表裏を感じます。


~東日本政府の面々~


【輪王寺宮公現法親王殿下(東武皇帝)】


【九条 道孝・関白太政大臣】




【沢 為量・執柄】


【醍醐 忠敬・執柄】



(大本営・軍事局)


【伊達 慶邦・権征亥大将軍(仙台藩)】



【松平 容保・総副将軍兼総裁(会津藩)】

(徳川幕府での要職は、京都守護職(宮内庁長官に相当))

【上杉 斉憲・越後口奸賊防衛(米沢藩)】



【佐竹 義尭・出羽探題兼守護(秋田藩)】


【小笠原 長行・参謀】

(徳川幕府での要職は、外国事務職総裁(外相に相当))

【板倉 勝静・参謀】


(有志之輩統)


【竹中 重固・領軍事総裁】



【榎本 武揚・海軍総裁】

(徳川幕府での要職は、海軍総裁兼艦隊司令官)

政策機関(奥羽越公儀府)


最高機関(奥羽越列藩会議)


【旧幕府フランス軍事顧問団有志】

(箱館政府顧問団当時の一葉)

【奥羽越列藩同盟(国土)】





(旧幕府海軍艦隊)


(旧幕府陸軍残存部隊)



【皇帝仮御所(白石城)】


(東武皇帝警護隊(彰義隊))


(上野戦争での一葉)

【東北戦争(戊辰戦争第3の役)】







【会津戦争】


【北白川宮能久親王殿下(陸軍大将)を中心に構成(旧東武皇帝)】

(北白川宮第2代当主)

【北白川宮富子親王妃殿下】



○北白川宮能久親王殿下第1王子
【竹田宮恒久王殿下(陸軍少将)】

(明治39年、竹田宮創設して、初代当主。)

○北白川宮能久親王殿下第2王子
【】

○北白川宮能久親王殿下第3王子
【北白川宮成久王殿下(陸軍砲兵大佐)】

(北白川宮第3代当主)


【北白川宮房子妃内親王殿下】



○北白川宮能久親王殿下第4王子
【小松輝久侯爵(海軍中将)】



○北白川宮能久親王殿下第5王子
【二荒芳之伯爵(旧官制学習院中等科中退)】



○北白川宮能久親王殿下第6王子
【上野正雄伯爵(海軍少将)】



各宮家の子息たち。

【北白川宮永久王殿下(陸軍砲兵少佐)】

(北白川宮第4代当主)


【北白川宮祥子妃殿下(旧尾張藩主徳川家)】



(北白川宮永王殿下と祥子妃殿下)




【竹田宮恒徳王殿下(陸軍中佐)】

(竹田宮第2代当主)


【北白川道久(霞会館(旧華族会館)前理事長)】

(旧北白川宮第5代当主)


【北白川薫子】


各旧宮家のお孫たち。

【北白川】

(旧北白川宮第6代当主)


【竹田 恒和・前国際オリンピック常務理事兼前日本オリンピック委員会長】

(旧竹田宮第3代当主)

各旧宮家の玄孫たち。

【北白川】


【竹田 恒泰・皇學館大学非常勤講師】


【GHQ占領下の命令に基づいて、日本政府は半強制的に皇統譜から直宮(昭和天皇とご兄弟)を除く旧皇族11宮家を離脱させる】


明治大帝で知られる明治天皇を中心とした国家・大日本帝国と大正デモクラシーで臣民の自由と階層の平等が謳われた戦前は、国際連盟常任理事国とした近代国家の模範として極東の端の光と示られました。しかし、アメリカを中心とした連合国(約50ヶ国)と枢軸国(防共協定含む約11ヶ国)との大戦は激戦の末敗戦。日本は、思想や価値観が180度変わり、古来から続く日本人の良心性を失いました。連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の間接統治の下、敗戦国・日本は、出直しを余儀なくされます。しかし日本は、そして皇室は守護され続けました。再独立国となった日本は、神であることを否定し、人間宣言した昭和天皇と共に陛下が平和の尊さを一貫して貫き通され、国民と国家の平和と繁栄を祈る日々を続けられて来ました。
即位から今日、今上陛下は、昭和天皇の意思をを継ぎ「象徴」として責務を果たしてまいりました。今上陛下のご意志に基づき政府は、改元と今上陛下の退位とそれに伴う即位に向けて国家を挙げて準備を整えています。しかし、肝心な皇室制度維持を保つ為の皇室典範改正は棚に置いたままです。現在皇室制度は角期に差し掛かっています。引き延ばしは限界でしょう。
なら第3の道として新たな皇室制度を設ける事は、目指す方向が、多少の擦れが招じるかも致し方ありませんが、それは覇道で乗り切るしかないのではないでしょうか?
旧来のままの皇室制度存続は、日本(共和)国であることはそう遠くない未来あり得るでしょう。
かつて極東軍事裁判の折、昭和天皇の戦争責任を問う世界的な世論が舞い上がった際に、マッカーサー元帥は言いました『天皇は、米軍100万に相当する』と。
旧宮家男系子息長子の復活が王道ですが、国は動かない。宮内庁も反応が鈍い。日本国憲法は、華族(貴族)を否定してる以上、婚姻を結ぶ皇籍離脱女性皇族は、一国民(市民)として活きて行く事になりますが、社会的な名誉職の地位に就くことで一定の品位は保たれているかも知れません。しかしそれでは根本的な解決には至らない。
昭和30年代「逆コース」と言われた時代がありました。更なる逆コースと言われるかも知れませんが「旧皇族の復籍と華族制度の復活は、セット」でなければならないと感じます。でないと今後も同じ事を繰り返すことは眼に見えている。華族を皇族のためだけに復活させるのではなく、現に経済界をリードする経営者やスポーツの世界をリードする者、各社会的立場で職務に遂行する者を一代華族の地位を与える。かつて華族だった旧公家や旧公卿、譜代大名等は、正式に復籍する。旧文官や旧軍人以外の復籍は不可能とする。等…これ等の復活はほぼ成立不可能な絶望的な考えであるので私も難しいと云うか期待はしていません。
国家のこと、100年後の未来のこと、過去の大戦の反省ばかり眼を向けないで、そろそろ未来の子供たち次の世代(時代)のこと考えましょうよ。
話が最後にかなり逸れました。

【戊辰戦争150周年】




【竹田恒泰チャンネル(旧皇族のままの方が幸せな場合もある…かな?)】


150年前、戊辰戦争で敗れた会津藩は賊軍となった。今の青森県に属する斗南に追いやられた。不毛の大地は作物すら育たなく士農工商は逃げ出しそして武士たちも死んでいった。
時が流れて、150年後の旧会津藩・現福島県に再び災禍が降り注ぐ。東日本大震災の余波を諸に喰らいかつて旧賊軍の急先鋒だった旧会津藩・現福島県で、東京電力福島原子力発電所1号機はメルトダウンを起こした。メルトダウンが起きて初めて旧官軍の旧明治政府・現中央政府並びに東京都へ、すべての電力を送電した事実を知った東京都民(国民)は、大多数であったであろう。歴史とは残酷である。震災から7年復興の兆しはまだ道半ば…。東北の復興を祈る。そして国民は、明治維新150年の意味や側面的な面も、胸に刻む事を忘れてはいけない。
(再編集なしで、更新しました。現在の情勢と齟齬があることはご了承下さい)