昭和11年(1936)2月26日、20年振りの大雪の中「昭和維新」の名の下、約1400人の陸軍部隊が首都(永田町・霞が関)を占拠しました!


【陸軍部隊500人を率いて、警視庁を無血に抑え込んだ主要人物の一人「野中四郎・陸軍大尉」】



【警視庁(当時)を500人の陸軍部隊が、占拠】



(警視庁と内務省の間で警戒中の陸軍部隊)



(警視庁特別警備隊・新撰組は、陸軍部隊の比我兵力差に推されて出番すらありませんでした)



【内務省を警備中の決起部隊】



【警備中の決起部隊(指揮した将校は2~30代の若手で、命令に出動した兵士は、殆ど徴兵間もない20歳が中心でした】



【帝国議会議事堂(現国会議事堂)を、警戒中の決起部隊】




【陸軍第3歩兵連隊を率いた安藤輝三・陸軍大尉(第3歩兵連隊第6中隊長)】


(部下からの信頼が厚く(自らが経験した上官からの体罰を部下へ強いいることはしない)決して軍隊特有の体罰を認めなかったとの逸話が残っています…また決起には最後まで反対したそうです!


【山王ホテルを占拠中の陸軍第3歩兵連隊第6中隊(通称殿下中隊)の兵士】



【戒厳令発令により道路は、封鎖されて交通が大混乱しました】



【戒厳令の下、帝国議会議事堂周辺に陸軍の戦車部隊が展開】




【戒厳令の下、海軍は陸戦隊を編成して芝浦ふ頭に上陸し2000人の部隊を率いて海軍省の警備へ!東京湾では、連合艦隊第1艦隊は全艦砲を首都へ向けて臨戦態勢(第2艦隊は大阪湾内で待機)】



【帝国議会議事堂と参謀本部が見える三宅坂付近】



【下士官と兵士に投降を呼び掛けるビラ(NHKもラジオで投降を呼び掛ける「兵に告ぐ軍門が下されたのである…オマエ達の家族は皆心配しておるぞ!」)】



【山王ホテルを占拠していた安藤輝三・陸軍大尉率いる陸軍第3歩兵連隊第6中隊は、最後まで抵抗してその団結力を戒厳部隊へ見せ付けたそうです】



【「軍門が下された「軍旗」に背くな!」のアドバルーンが各地のビルに上がる】



クーデター未遂事件は、4日で鎮圧されます(この事件が切っ掛けで、日本は泥沼の戦争へと雪崩れ込んで行きました)。


226事件の後、兵士を率いた若手将校等は、軍法会議で裁かれ非公開・控訴なしの絞首刑に処されました。また下士官らも降格されたり、上官の命令は即ち大元帥・天皇陛下の御命令(軍人勅諭)と定められているため、兵士達は事情知らずに出動命令に従っていたのに最前線へ飛ばされたり、同じ中隊の兵士から嫌がらせを受けたりしました。(特に陸軍歩兵第3連隊第6中隊は、通称殿下中隊と言われかつて、秩父宮殿下が中隊長を指揮した栄誉を授けられていたために「泥を塗った」として事件と関係ない徴兵制度に基づき入営した新兵に迄「汚名返上」を求め続け異常な新兵訓練を課せられ、挙げ句の果てには満州帝国(現中国東北部)とソ連邦(現ロシア)の国境のシベリア地域迄に送り込まれた兵士もいたとの逸話が残っています)

これは現実にあった出来事です。


【226事件当時の生々しい電話のやり取り(傍受)】

【226】