2022年春頃の石井光枝さんの『私は私に還る』だか『自分に還る』サミットのお話を聞いて

あ、これだ。私も正直に生きたいっと心から思った。

 

2022年の目標は『自分に正直に生きる』と決めた。

はいいけど、会社入って黒子みたいに生きてきて、自分を消してたから、

少しずつ自分の好きを選んで満たす方向へ進んできたけれど、怖がりで本当に一歩ずつだった。

 

春にブレイクスルーサミットというイベントに参加して

ラリーギルマンのお話をきいて、聴いてるだけで涙がでた。

もっと聞きたいと思い、2日間のオンラインセミナーに参加した。

セミナーに参加して、抑圧のエキスパートになってるなぁと気づいた。

私はもっともっとあるものを出したい、オープンに正直に。

セミナーの最後に本セミナーへ直観で行きたいんです~と泣いていた私。

子供をまるまる一日×4日間預けることを主人に言えない~。

今までしたことないことをお願いすること、色々いわれるんだろうなと抵抗が凄かった。
本心は自分を表現したいと思って、申し込みした。
 

申し込みしたけど、怖くて主人になかなか言い出せなかった。

なぜ参加したいのかは説明できたけど、
その講師はどんな人で、主催者は誰でどこで何をやるか。

それに参加することによって何を得られるか。どう変わるか。

質問攻めに、ちゃんと答えないと参加させられないと。

仕事じゃないんだから、こうなるから言いたくないんだよなぁと思いながら、

講座の説明をしたら、そんなに遅くまでやるなんて普通じゃないとか

言われたりしてなかなかOKをもらえなかった。

 

結局泣きながら行きたいと訴えていかせてもらった。

4日間のラリーのMOSEセミナーの参加をポチっとしたけど、ずっと怖かった。

人前で話すことが怖い

自分を出すのが怖い

私は正直に生きると決めたんだっと言い聞かせて参加した。

2022年7月だった

怖さとともに進む

100%やり切る
ことを学んだ。

 

音痴で人前で歌うなんてとんでもないと思ってたけど、仲間の歌に感動して号泣。

魂が震える瞬間。
産まれてはじめて私も歌ってみたいって心が思った。

一番は怖くても人前に立ち、震えながら話した経験が、やればできるという自信になった
仲間もできた。
 

できた仲間が15年話してなかったお父さんと話せるようになったりした。

私は毎年会ってるから感謝を伝えるんだ!
照れくさすぎて今まで一度も愛してるよなんて言ったことないけど私は思ってることを正直に伝えるんだと
と意気込んで、母は入退院してたし、少し弱ってるのもあったし、何回かの電話で言えた。
『お母さん愛してるよ。今までありがとう』とお母さんは泣いていた。
正直言えたすっきりさで母がなんていったかは覚えてない。
父には何十回電話しても
元気?体調どう?よいならよかった~と肝心なことが言えずに過ぎた。

そんな中40代で知り合いが亡くなった。
奥さんと小さい子供を置いていかなきゃいけない心境と癌の進行がどれほどつらかったことか。

そのあとすぐ
45歳で従兄弟がコロナで緊急入院して、亡くなった。
コロナだから対面もできず、葬儀もできず、奥さんは骨との対面。

今まで家にいたのに、骨との対面。
何もできなかったと好きなものもっと食べされてあげればよかったと悲しむ奥さん。
本当に大変だったと思う。
従兄弟は数年前緊急入院して、意識不明になり、生還して、自宅に戻れたのに。。
入院先に何度か行き、頑張ってる従兄弟を見てたし、毎日お見舞いに来てくれる奥さんの話をきいてたから。
私には計り知れない悲しみだったと思う。

この連絡を受けて、私は父に電話をした。
『お父さん、従兄弟○○がコロナで亡くなったって連絡きたの』色々話した後、
『お父さんも癌だしいつなくなるかわからないからいいたいことを伝えたいと、お父さん愛してるよ。ありがとう』と
やっと伝えられた。父は『ありがとう。なくなよ』と言っていた。
従兄弟が後押ししてくれた。

命ははかないこと。日常は当たり前ではないこと。

背中を押してくれてありがとう。

大切な人に伝えたいことを伝えるだけなのに、本当に怖い。

でも私は言えた。思ってることを伝えられた。

MOSEに参加して、両親に素直に言えた経験が人生を変えてくれた。

このころに母の中の優しさを初めて感じたという話をしたら、ラリーにそれはあなたの中にあるからだよと言われた。

私は怖かった、怒ってる母ではなく、違った面を見れるようになったきっかけになった。
素直になったことで、緊張がゆるんだんだと思う。
このころから母は怒ってる顔ではなく、実際に笑ってるようになった、不思議。

私の願い、母に笑っていてほしいだけと気づいた2020年から願いが叶った。