元摠見寺 三重塔・二王門編です。
摠見寺跡地を目指して下山します。 おー
ウィキ先生によると、摠見寺は『安土城築城時、信長によって城郭内に建立された。近隣の社寺から多くの建造物を移築したようである。具体的には、重要文化財に指定されている二王門や三重塔などを挙げられる。
安政元年(1854年)本堂など主要な建物のほとんどを焼失した。その後、徳川家康邸跡と伝えられる場所に仮本堂を建てた。』とあります。
本能寺の変後には焼失を免れ無事だったけど、江戸時代末期には、焼けてしまったわけだ。
実に残念だわ。それで現在大手道にある摠見寺は、摠見寺仮本堂と呼ばれてるのか。
↓案内板の方向を見るとこんな感じ
緩やかな石段が続いています。
登りつめると、なにやら見えてきました。
重要文化財、三重塔ですね。近づいてみましょう。
三重塔に行く、手前右側が本堂跡地です。少し高台になってます。
本堂跡地を降りると、撮影スポットです。
景色を堪能したら、三重塔に近づいてみましょう。
↑『三重塔 』 室町時代(1454年)建立 近江国甲賀郡長寿寺より移築。
移築って細かくバラして運んで、また組み立てるってことだよね。
何度も言うけど、ここ平地じゃなくて、安土山、山ですから。
どうやって水平をとったんだろう。
よく斜面に移築できるもんだ。この時代の建築技術もすごいもんだね。
近くの石段を下ると、またもや見えてきました。
↑二王門です。
↑正面の姿です。
こちらの『二王門』も 室町時代(1571年)建立 近江国甲賀郡柏木神社より移築。
ここから先、石段を下りて行きますが、大手道と違ってちょっと薄暗い印象です。
どこに出るのか 不思議に思ってると、着きました。
↑わかりますか?
そうです、そうです、秀吉邸跡地(下段)に戻ってきました。
なるほどつまり、大手道から登って安土山の左側をグル~ッと一周したことになるんだ。
じゃ 受付で御朱印をいただいて帰りましょう。
と、その前に受付を出て、駐車場と反対の右側を散策してみましょうか。
山全体が石垣で囲まれていたようです。ところどころ案内板があります。
その奥まったところに、ひっそりあるのが、こちら
『百々橋口』です。「どどばしぐち」って読むんですね。
見てのとおり、今は通行止めになってますが、本来ここが一般的な登城口だったとか。
摠見寺跡地の石段につながってるらしい。
大手道は、天皇陛下行幸の際に使う予定だったとか。
特別なお客様用、派手な玄関って感じかな。
ちょっと長くなったんで、ここで終了。次回はおまけ編です。