季節も少~し、秋らしくなったので、ハイキング気分で行ってきました。

安土城趾探索です。 結構長編なんでその1は大手道・お屋敷跡編です。

 

無駄に写真が多い、なんせ城跡だけなんで、殆ど石の写真です。

楽しんでいただけるでしょうか、キョロキョロ ちょっと心配でござーる。でもまあ、お付き合いください。

 

信号 『安土城祉前』を曲がります。信号角に碑がありました。

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登山者用無料駐車場に止めましょう。

近くに『安土城跡ガイダンス・休憩所』があります。ちょっとしたお土産とコーヒーが楽しめるようです。大事なことは、ココが最後のトイレです。

安土山は山全体が国の特別史跡なのでトイレはありません。必ずすませておきましょう

 

では、しゅっぱーつグー・・・が、ここで謎の人物登場

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↑この案内板の前でぼーっとしてると、話しかけてくる人がいました。

この方の言うことを要約すると、、「私は摠見寺の正当な末裔だ。現摠見寺と争っている。」そうです。

案内板の隣に「この付近で観光客相手に話しかける不審者~」なる看板があり、

この男性は「不審者あつかいですよ」と言っていました。

 

きりんは登山で、ときどき山の神様に出会うんだけど、今回のこの人は何だろう。

 

まあ気を取り直して、しゅっぱーつグー

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↑大手門跡を中心にした安土山全景

約400年前にはこの山の上に我が国初の天主を持つ安土城の姿があったわけだ。

見たかったなぁ。でも観光客目的で不確かな城を再建されてもがっかりだから、今のままでいいかな。

 

この先に受付がありまして、入山料700円を納めます。

摠見寺拝観料は、別途500円 (土日のみ拝観できるようです。)

御朱印の受付もしています。

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大手道です。なんて幅が広くて直線的なんでしょう。

城の入口ってもっとカクカク曲がりくねってるのが普通じゃないの?

これじゃ、敵がドンドン入ってくるじゃん。

 

という、きりんの疑問を解決するのが、この大手道の左右にあったとされる屋敷。

向かって左側には、羽柴秀吉邸、右側には前田利家邸、前田邸の上には徳川家康邸があったとされています。といことは、万が一にも敵軍で攻めてきたら、両側から迎え撃つ予定だったわけですか?

 

でもさ、実際は本能寺の変の時、この屋敷にはだれも居なかったんだよね。

だから天下の安土城は焼失したんだよね。

 

もっとも 天下統一を目前にした信長は、安土城を攻めてくる人が居るとは、思ってなかっただろうな。

 

ではお屋敷跡をご紹介。

まずは羽柴秀吉邸です。大手門左手の一番下に位置してます。

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↑羽柴邸の入口付近から見ると大手門の入口近くだと分かります。

この場所を与えられたのは、地位が低かったからか? 

または敵が攻めてきた時に一番に戦うため、戦上手な秀吉が選ばれたのか? 

どっちでしょう。

 

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↑ここだけでも結構広いんですが

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右奥に登り口があって、写真奥の石垣の上に続いています。

石垣を登るとさらに広い敷地があります。待遇は良かったのかも。

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お次は前田邸です。

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前田邸跡は入れませんでした。

屋敷の広さは分かりませんが、位置的には概ね羽柴邸と同じ高さですね。

この当時、秀吉の同僚だったわけで、同なじ扱いっだたのかな。

 

前田邸の上にあったのが徳川邸だといわれています。

徳川家は同盟を組んだ大切な客人だから、下っ端の家臣よりも上位なのか。

家臣ではないけど、微妙な位置に屋敷を与えられてるなと思います。

現在 摠見寺が建てられています。

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拝観した方のブログを読むとやっぱり興味が湧くわ~。

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時々 鐘の音がするんだけど、観光客が自由に鳴らしていいらしい。

 

てな感じで大手道の左右をウロウロしながら石段を登るのは結構きつい。

気合いを入れて足元はスニーカーで固めてください。

ハイヒールとかサンダルは不向きです。

 

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↑ようやく突き当り。

↓振り向くと

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けっこう登ったね。

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まだまだ続くよどこまでも

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天主 本丸跡の案内発見

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曲がった後も、まだまだ続く石段です。

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↑徳川邸より随分と登ったところにある屋敷跡。

武井夕庵なる人は、信長の右筆だったそうです。

外交面でも活躍した人物のようで重宝された方のようです。

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平らな場所につきました。休憩所もあります、ここで水分補給です。

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↑→休憩所から見下ろす御城下?DSC_0083.JPG

 


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↑二股に出ました。右は天主です。左は摠見寺跡、帰り道のようです。

ここで、大手道編は終了。次は天主編です。