③
「相楽ね、卒業式の数日後に殺されちゃったんだ…。何でだか知らないけど、夜の公園に一人で出かけて…、そこで殺されて。
吉乃さんが知らないのも当然なんだよ。あんた、卒業式が終わった後、結構早目にいなくなっちゃったでしょ? なんかよく分かんないけど、入学準備のためとか何とか、早々に上京してったって聞いたけど―。とにかく、その日に、相楽、死体になって発見されたから。俺、吉乃さんがいなくなるの寂しい、耐えらんねーって涙に暮れてたから、あんたがいなくなった日の事、よく覚えてるんだよ。それと…」
「…私が、いなくなった、日…」
「―そっ。早朝、散歩してたおじさんおばさんに発見されて…。そうそう、俺、その時の新聞の記事、写真に撮ってるから見てみる? 相楽が首絞められて殺られた、って事、地方版に数行だけど載ってたから。あとネットとかでも―」
「い、いい…、見なくても。圭樹くんのお話だけで充分…」
ようやく高く昇り始めた、陽の光が射し込む、暖かな窓際に佇みながら。
ホットミルクのカップを片手に、自身を見つめしんみりと語り続ける圭樹春海の、予想だにしなかった“世間話”を受け止めながら。
吉乃夏美は、信じがたい思いにかられていた。
…死んだ? 亡くなってる? もう、いない?、そんなのって…。あの、華やかで強そうだった相楽さんが、殺されて、数年前に消えていなくなってた、なんて…。そんな―、そんな事って。
信じられない。
誰よりも強そうだったのに―、
誰よりも圭樹くんの事、好きそうだったのに―、
決していい思い出のある―どちらかと言えば逢いたくなるような―相手ではなかったが、だからと言って、殺されて当然だ、ほら見た事か、と笑い飛ばしていい話でもなく。
それどころか、殺されてしまっているのであれば、もう、彼女が真実、圭樹春海と交際していたのかどうかは、どうでも良い事項となり。
夏美は、しばらくの間沈黙した後。ためらいがちに、圭樹春海に問いかける。
「知らなかった…。全然…。たまに帰省して友達と逢っても、そんな話題、一つも出なかった―」
それはね、もう話題にさえなってなかったからだよ、と同級生の“男子”が飲み終えたカップをキッチンに返しながら、答える。
「吉乃さんがたま~に帰ってくる頃には、もうみんなその話題に飽きてたんじゃねえのかな? そんなに親しくなかったら、関心も薄れるだろーし。吉乃さんの友達は、もともと相楽とは仲良くなかったんじゃね? だったら、いよいよ話題にものぼらないだろうし。みんな自分や身近な話で、いっぱいいっぱいだろうから」
確かに。
夏美が帰省した大学一年生の夏休み―事件から数か月後―には、おそらく『同級生が殺された』と言うショッキングな話題も一段落していたのだろう。実際、久々に逢った友人達から彼女―相楽えみり―の名前が話題に上る事もなく。
だから知らなかった、と言っても通用するかもしれないが。けれど、どこか釈然としない感覚が残り。
「…でも、殺された、って事は―、犯人捕まったの? もう捕まって、罰も受けて―」
あ~っ、まだ捕まってなかったんじゃなかったっけ? と圭樹春海がノンビリと返事をし。
「確かな情報じゃないけど…、犯人捕まってなくて、未解決だった気がする。俺もそんなに関心があるワケじゃないから、ハッキリとは断言出来ないんだけどね。
また、故郷の友達に訊いてみるよ。何か進展あったのか? って。
それよりさ、今日これからどうする? 俺、ちょっと仕事の調べ物があって、留守にすんだけど。吉乃さん―」
「あっ―、ゴメン、いつまでも長居して。そうだよね、今日お休みだから圭樹くんだって用事があるのに。私、気づきもしないで」
「―って、帰るの?」
「うん。助けてくれたお礼は、今度ちゃんとするから。とりあえず帰ってから色々考える…」
「それなら、俺ん家(ここ)で考えれば?」
不意に。
差し出された圭樹春海の提案に、ベッドから起き上がり、どうのこうの言いながらも完食したコーンフレークの皿を洗おうとキッチンまで出向き、帰宅準備を始めた吉乃夏美の動きが止まり。
視線を向けると、“彼”がニッコリと笑ってこう言った。
「“考える”だけなら、どこにいても出来るでしょ? 俺さ、最近忙しくて、部屋の掃除とか洗濯、全然出来てないんだよね。
俺が帰ってくる間に、キレイにしてくれてたら、スゴく助かるんだけどな~。ああ、それと、メシも食いたいな~。俺、上京してからロクな物食ってなくてさあ。吉乃さん、何か美味いもの食わせてよお。
―そうだ、俺へのお礼はそれでいいよ、一日家政婦。いいでしょ? 吉乃さん」
「いいけど…、私、料理出来ないよ。それに、着替えとか、シャワーとか…、とりあえず部屋に一旦戻ってから、どうするか考え―」
と、とりあえず逃げかけた夏美の話の腰を、圭樹春海は途中で折ると。
今度は彼女自身の腰を―近すぎる距離で、顔と顔が向き合うように―強く引き寄せ。予想外の行動に驚いて見上げてくる、その凛とした切れ長の双眸が戸惑うのを見て。
ケラケラと、楽しそうに笑いかける。
「じゃあ、考える前に行動しよっか? 一緒に吉乃さんの部屋まで行ったげるよ。昨夜あんな事があったばっかりだからさ。吉乃さん一人で歩かせるの、俺、スゲー心配で。
とりあえず顔洗って、出かける準備しよ? …そうだ、一日家政婦する時、コスプレ、やってみて。クールな吉乃さんのクイーン、すっげえ似合いそう。
うわっ、考えただけでもサイコー。こー言うのなんて言えばいいのかな? え~っと、そうそう…、ラッキー、ハッピー、ヘブン~」
圭樹春海の笑顔溢れる、楽し気な言葉に。
『ラッキー、ハッピー、ヘブン~』
…え~っと、って悩んでたわりには、誰でも知ってる―私でも理解出来る―横文字、並べただけのような気がする…。多分アルファベットに弱い私に合わせて、単純。シンプル。分かりやすっ。の三拍子揃った単語を選んでくれたんだろうけど―。気を使ってもらった上に、こんな事思っちゃいけないんだろうけど。
圭樹くん、お気楽な上に、能天気―。
と。
吉乃夏美は、黙り込むしかなかった。
意外と近いとこに住んでたんだね、俺ら。この広い東京で、同郷の人間とご近所さんで再会出来るなんて、そう滅多にある確率じゃないよ。神様のお引き合わせだよね。これからは、昔みたいに、い~や、それ以上に仲良く出来そうだよね。だって、“共通点ゼロ”だった俺らに、同郷、って言うワードが生まれたワケだから―。
賃貸マンションのエントランスを抜け、自室までのエレベーターで共に二階まで上がり。
自室に続く共用廊下を歩きながら、圭樹春海が隣で延々と感想を述べるのを聞きながら。
吉乃夏美は、ため息をつく。
エントランスのホールで待ってて欲しいんだけど、着替えたらすぐに下りていくから、といくら説明しても、いーや、昨日の今日だから。何かあってもいけないから、ちゃんと部屋までついてくよ。それとも―、同郷で同級生の俺に、見られたらまずい物でもあるワケ? ペット禁止のマンション内で猫や犬飼ってるとか、法律違反の奇妙なモノ栽培してるとか、
と。言い逃れの逃げ道を塞がれ。仕方なく自室へ案内しているワケで。
『俺、吉乃さんのファンだったから~』
少し前。“彼”の部屋であっけらかんと口にされた“告白”を思い出し。
夏美は分からないよう、一人、赤面する。
たいしたセリフじゃない、と思って発言したんだろうけど…、聞いた私がどれだけドキドキしたか、圭樹くんは分かってるんだろうか…。ううん、きっと何も考えてないし、分かってない。
いつだって、圭樹くんは冗談ばかりで、能天気で、羞恥心や繊細さとは無縁だったから。
高校生の時だって、いろんな女の子達にさっきみたいな似たような事、言ってた気がするし。
…だいたい、メイク落とし―それも女の子仕様―のシートなんか持ってるのが不思議だし。きっと、彼女か誰かが泊まる時に使ってて、それで私の顔を拭いたんじゃないんだろうか。もし、そうなら…。
―やっぱり、一日家政婦は断ろう。彼女がいたら悪いし。
圭樹くんは、結構、意識せずに何とも思ってない女の子と仲良く出来るとこが昔からあったから…。
それは、きっと、六年経った現在でも変わって、ない―。
圭樹春海は、自身を人に愛させる―言い方は悪いが、たらしこむ―事に関しては、天才的な人間だと思う。その人目を引く容姿もさる事ながら、彼自身無意識に繰り広げているのだろう、口八丁手八丁の話術―つい先ほども、大学卒業と共に住み始めたと言うマンション内の隣近所の住人達と、十年来の親友のように挨拶―ハイタッチ―を交わす様子―を目の当たりにし、それを実感し。
事実、夏美自身、昨夜“彼”に助けられてからと言うもの、全く主導権を握れず、そのペースに引きずられっぱなしなのだから。
再会した途端に、いつも逢っているかのように話しかけてきて、時間の流れを忘れさせ、感じさせない。仕事に追われ振り返るヒマもなく―また、そんな必要もなかった現在において―中学高校の六年間を思い出させ、微に入り細に入り、その時々の様々な感情まで甦らせる。
その良い証拠に。夏美は先ほどから、感情を揺さぶられっぱなしなのである。
「玄関に入って待っとくよ。あっ、靴も脱いどこうかな…。十分以内に準備して出てきてね。それ以上は待てないから~。床をドンドン踏み鳴らして、困らせちゃうからね」
優美かつ繊細な造作の眼差しで、軽口を叩いてくる同級生の―ハート型が飛び交っているような―意味深な視線を、身をよじってかわし。そのおり、バッグの中の携帯電話が鳴ったが、後から出ようと、留守電に切り替わるまで応対せず。
玄関のドアを閉めると、圭樹春海を残したまま。短い廊下とキッチンの前を抜け、1DKの寝室兼居間兼書斎のドアを、やれやれ、との思いで開けた瞬間。
「…」
わずかな静寂の後。吉乃夏美の口から、悲鳴がほとばしった。
「吉乃さん、どした!? スゲー声、聞こえてきたけど―」
夏美の悲鳴を聞いて駆けつけ、 彼女に咄嗟に抱きつかれた圭樹春海の目に映ったモノ、それは。
1DKの部屋をグチャグチャに荒らされ、カーテンと言わずソファベッドと言わず、辺り構わず切り裂かれた景色で。クッション内の綿が飛び散る
中、床に黄色い液体の水たまりが出来ており、何か異様な臭いを発しているので、圭樹春海が思わず近寄って確認すると。
彼は、しばらくして、その場を離れ。うずくまってガタガタ震えるばかりの夏美に向かって。
優しく話しかける。
「吉乃さん、警察呼ぼう」
「…警、察…?」
「空き巣が入ったみたいだから―、つか、何だかよく分かんねえけど、ションベンひっかけて出て行ってるみたい。ちょっとアブねーヤツかもしんないから…、ねっ?」
to be continued