濱田庄司の「用の美」を受け継ぎ、多くの陶芸家が日々創作に奮闘
こんにちは
松江の行政書士&ファイナンシャルプランナーの小室寿明です
秋の栃木県旅の続編・4回目です。
日光東照宮から霧降高原(きりふりこうげん)を訪ねた後、秋旅・栃木県の3日目最終日は陶芸で有名な益子へ
▲「陶庫」という店の中の益子焼展示の様子。この店では、お茶碗とグラスを買いました。
▲やまに本店での益子焼展示。ここでも青色が綺麗なお茶碗を購入。妻は、益子焼の特徴である厚手のぽってりとしたスープカップを購入。
1924年 (大正13年) 、柳宗悦らと民藝運動を提唱する濱田庄司が益子に移住。
益子焼に「用の美」(日常使いの美しさ)を見出し、茶器や花器など民藝品としての益子焼の作陶に励み、現在もこの町はその流れを受け継ぎ、多くの陶芸家が日々創作に奮闘しているとのこと
町中心部には多数の作陶家の窯元や展示場が軒を連ねており、陶芸ファンにはたまらないロケーション。
益子焼は手ごろな値段であり、私はお茶碗2つとお酒のグラス、妻はスープカップを買い求めました
【益子焼】
益子焼は、茨城県の笠間焼と並び関東を代表する焼物。江戸時代末期に栃木県益子町で誕生し、主に鉢や水がめ、土瓶などの台所用品が生産されてきた。昭和に入ると、哲学者・柳宗悦 (やなぎ・むねよし) らと共に民藝運動を推し進める、陶芸作家・濱田庄司(はまだ・しょうじ)によって民藝品として注目されるようになり、その名は全国区となる。益子焼の特徴で面白いのは「土の質感」。陶土は砂気が多く、粘性が少ない。その為、細かい細工にはあまり向かず、どうしても肉厚に作られる。そのぽってりとたフォルム、素朴で温かみのある風合いが特徴的だ(Wikipediaから)。
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