連立政権、そして新党運動
 
こんにちはラブ
松江の行政書士&ファイナンシャルプランナーの小室寿明ですもぐもぐ
 
県議会2期目は、政界再編が大きなテーマとして浮上しました。
少しさかのぼりますが、1989年の東西冷戦の終結、国内ではリクルート事件発生などを受け、政治腐敗根絶と2大政党制による政策選択を可能とする選挙制度改革がめざされました。
 
民間政治臨調が活発に提言を行い、各政党も、喫緊の課題として政治改革を位置づけるなど大きなうねりとなります。
そして1993年、選挙制度改革に及び腰だった宮沢内閣に対する不信任案に自民党の小沢グループなどが賛成に回り可決。
 

解散・総選挙を経て、社会党・新生党・公明党・日本新党・民社党・新党さきがけ・民主改革連合など非自民の8党1会派による細川連立政権が成立。

内閣支持率80%超を背景として、小選挙区比例代表並立制の政治改革法案を成立させますウインク

 

しかし、1994年佐川急便事件を受け、細川内閣が総辞職した後、社会党・新党さきがけが政権離脱する中で羽田政権が成立。

少数与党での政権運営はすぐに行き詰り、わずか2ヶ月で総辞職。


政権復帰に執念を燃やす自民党は、社会党・村山富市委員長を首班に担ぐ驚きの禁じ手を繰り出し、自民党・社会党・新党さきがけの村山連立政権が成立しますポーン

 

1995年の「戦後50年談話」や被爆者援護法援護法制定、女性のためのアジア平和基金創設、水俣病患者救済など戦後処理問題に一定の区切りをつけ、1996年に村山首相が総辞職し、自民党主軸の橋本連立政権が成立。

そして、自民党に対抗する民主・リベラル勢力による新党結成が社会党や新党さきがけグループを中心に取り組まれるなど、そのころの国政は大きく動きました滝汗

 
「政権交代のある民主主義が必要」とかねて考えてきた私は、石橋大吉衆議院議員、岩本久人参議院議員や思いを同じくする県・市町議会議員などとこの民主・リベラル新党運動に参画
1996年春、社会党から社民党への名称変更を機に、左派グループ主流の「社会民主党島根県連合」と決別し、「社会民主党しまね連合」を結成しました(※漢字・社民党、ひらがな・社民党と当時呼ばれました)。
 
そして、1996年9月の衆議院解散を受け、鳩山由起夫・菅直人共同代表による新党「民主党」が結成され、「社会民主党しまね連合」グループは、「民主党しまね」を結成し合流。
10月投票の第41回衆議院総選挙では、石橋大吉氏が民主党公認で島根1区に挑戦します。

 

8月のあの本庄工区の事業再開を止めた「与党3党合意」の直後であり、石橋選対の政策担当兼松江地区選対委員長となった私は、「この選挙は、本庄工区干拓の是非を問う住民投票」との位置づけを行い政策をアピールしました。
そして、小選挙区で自民党の細田博之氏に敗れたものの、比例復活で石橋大吉氏の5期目当選を果たしましたデレデレ 
 
{A79C5E9D-AE42-4151-964D-E8CB6BDEAF69}
▲上段は、衆院選の干拓反対の得票が賛成を上回った数値。下段は、3党合意で事業見直しが決まった後の9月県議会での一問一答質疑。「反対派とは水と油」と合意形成を放棄する暴論を吐いた江口博晴企画振興部長とのガチンコ対決は思いで深い。
 
1998年には、民主党と旧同盟系の新党・友愛など4党が合併して新「民主党」が結成され、島根における県組織結成が課題となりました。
旧同盟系との組織統合の検討が始まり、私は、政策調整担当として、ローカル課題である「中海本庄工区の事業中止」「島根原発の安全性確保、3号機増設にあたっての住民合意の形成」などの政策合意を行い、後の2000年の「民主党島根県連」結成への下地づくりを行いました。
 
以下、奮闘のマイヒストリー続きますニコ
 
 
【お願い】

↓ブログランキングに登録しました。ちょっとでも心が動いた方は、ポチッとお願いしますラブ

 


ファイナンシャルプランニングランキング

 

ペタしてね

 

どくしゃになってね!