何かの香りをかいだときに、昔同じ香りを纏っていた誰かを思い出す。何かの曲をきいたときに、昔その曲を聞いていた頃の記憶が呼び起される。いま感じたナニカが心の中のなにかにピピピと繋がって、反応することってありますよね。
 
わたしは、色で人やものを思い出すことが多いです。今朝、黒タイルにゴールドのジェリーロールペンでタングルしていましたら、神奈川県に住んでいた時に仲良くしていた、アフリカンアメリカンの友達を思い出しました。今日はそのお話を。
 
彼女の名前はフィリスさん。黒い肌にいつもゴ-ルドの大ぶりのピアスをしていて、堂々とされた方でした。最初は彼女はわたしの英語の先生だったのですが、仲良くなって、よく一緒に過ごすようになったんです。
 
彼女からは、自然な日常英語だけではなく、異国の文化や考え方の違いなども教わりました。一番印象に残るのは「そういうとこ、嫌い!」とはっきり言われたこと。
 
当時わたしは「わたしなんて…」モード全開で自己肯定感が低かったのですが、彼女と出産について話していたときに、英語で上手く言えないことがあったんです。そのときに「わたしの拙い英語で意味が通じなくてごめんなさい」と謙遜のつもりで言ったら、彼女、急におこりだして。
 
「どうしてそんな風に自分を卑下するの!わたしは日本に3年もいるのに、オハヨウ、コンニチハ、アリガドウの3種類の日本語しかしゃべれない。なのにあなたは、日本にいながらわたしとこうして英語で意思疎通できるじゃないの!あなたの、そういうところは、嫌い!」
 
ストレートに言わてしまったんです。はっとしました。
 
島国日本。独特の思考パターンがあります。そういうパターンになるには、歴史や風土などが関係していたりするので、わたしはそれを正しいとか間違っているとは思いません。ですが日本の文化ではおかしくないことも、違う文化圏の人からみたらおかしく見えることは少なくないのは事実です。
 
彼女にガツンと言われて以来、わたしは「謙遜にみせて自分のことを否定するのはやめよう」って思うようになりました。
 
以来、日本の文化圏においても「わたしなんてモード」はなるべく発動しないようにしています。そうではなく「わたしだからできることがあるモード」で。
 
それはそれで、一般的な日本文化にのみ接してきた人にとっては、生意気に映ることもあるようで。例えば、ダンス教室のソロライブで踊ったときに、わたしだからこそできる感情表現があったので、それを試みたら、あとから上級クラスの生徒さんに「あなたの、そのレベルでねぇ」などと、トスっと嫌味の毒を放たれたこともあり。
 
そういうの、ああ、メンドクサイナーって思うわたしです。
 
そのように、フィリスさんはわたしの小さな意識の池に大きな隕石をぶち込んでインパクトを与えてくれた異文化の友。
 
さきほどタングルしていて黒とゴールドをみて「この色、彼女みたい」って思ったんです。そうしたら、当時、彼女に言われた「嫌い!」という強い言葉とともに大切なことを思い出しまして。
 
自分を誉めたりする必要もないけれど、同じように否定的なことを言う必要もない。そんなことを改めて思ったタングル時間に。
「自分を誉めもせず、否定もせず。ただ、堂々とするだけ(友の叱咤激励より)」
 
人に褒められても自分が大きくなるわけではありません。人に否定されても自分がすり減るわけではありません。だから、同じように自分に対しても誉めも否定もしない。
 
ぴしっと気持ちが引き締まったタングル時間でした☆