2024.5.7

三国志の魏書・倭人条に掲載されている卑弥呼という女王と邪馬台国。

朝鮮半島の帯方郡から邪馬台国へは一万二千里であり、単純計算すると日本列島を遥かに越えた太平洋に位置するため、いろんな説が飛び交っており未だに場所の特定が出来ていません。

この卑弥呼の一人が、実はカスピ海やアラル海方面に存在した大月氏の女王であることを説明して行きます。

現在の日本人の祖先に当たります。



先程も述べたように帯方郡から邪馬台国までは一万二千里ですが、洛陽からだと一万七千里です。同じく洛陽からクシャーナ朝大月氏までも一万七千里です。

これは良く知られています。

魏の明帝は229年に大月氏に対して「親魏大月氏國王」の金印を授与しており、卑弥呼に対して「親魏倭王」の金印を授与したのはその9年後、238年となっている。諸葛亮の死から4年後のこと。明帝は239年に急逝。


そもそも邪馬台国をそのようにおかしな位置に記した背景として、呉への牽制が強かったとされています。


金印を授与したあと皇帝が急逝するのは、「漢委奴国王」の時も同じです。西暦57年のこと。光武帝の時。

まるで何かの流れを引き継ぐかのように。


漢はその前から大月氏と同盟を希望しており、古くは武帝の時代に遡る。紀元前139年に張騫を派遣しており、この時の大月氏は女王であった。


時代はさらに遡り、紀元前6〜1世紀。

カスピ海の東に住んだマッサゲタイと呼ばれた民族をご紹介します。



ペルシア王・アケメネス朝のキュロス2世(在位:紀元前550年 - 紀元前529年)はバビロン人を征服すると、次にマッサゲタイ人をも征服しようとする。

当時のマッサゲタイはトミュリスという女王であり、太陽神ヘリオスを信仰していた。

ヘロドトスの著書「歴史」に彼女はこう描かれている。


キュロスは一度マッサゲタイに敗れており、騙して酒を置いて引くという作戦を考案した。マッサゲタイは酔っ払い、ペルシア軍に虐殺される。

騙し討ちを知ったトミュリスはキュロスに対して戦闘を仕掛け、激しい戦いの末にキュロスの首を落とす。


この戦い。実は旧約聖書で新バビロニア王国に滅ぼされたイスラエル人たちの弔いなのだ。


場合によってはこのトミュリスのことをユディトとして描いている可能性すらある。

※ユディト記にアッシリアの王と書かれるネブカドネツァルは新バビロニア王国の王。これを滅ぼしたのがキュロス2世。


紀元前711年頃、石板を持ったイスラエル12部族が逃れてカスピ海アラル海にマッサゲタイという国を造り、紀元前1世紀頃から大月氏としてイシククル湖周辺に移動。彼らの一部が秦を興し、前漢・後漢を経て蜀漢となり、朝鮮半島に逃れて百済を形成。やがて日本へ辿り着いた。


祖先イスラエルを滅ぼしたものたちの首を取った「イスラエル12部族」女王トミュリス。そして空の契約の箱を持って海路を選んだ「失われたイスラエル10支族」倭の民。それらが同じイスラエルの月の民であるということは「三国志」を書いた時代ではおそらく知られていない。もちろん今の時代でも。

倭にいた女性と紀元前の女王トミュリスとに何かしら重ねる理由があったのだろうとは思う。

この女王トミュリスと、武帝時代の大月氏の女王こそが卑弥呼の一人であり、邪馬台国の位置を日本地図からずらして書いた根拠である。