2024.5.6

三国志・長坂の戦いで劉備は妻子を捨てて逃げた。

芙蓉姫(糜ビ夫人)が井戸に身を投げ、劉備の子供・阿斗アトは趙雲に託され、趙雲が曹操の軍勢を駆け抜けて橋まで届け、張飛が橋を壊して曹操軍を睨む話。


井戸から橋までのお話。これがどうやら重要なこととして古事記と竹取物語に掲載されているようです。


先ずは古事記の文章から


ホムチワケ(阿斗)は八鹽折ヤシオリの紐小刀を持つサホ姫(甘夫人)と垂仁天皇(劉備)の子供として生まれます。

サホ姫は炎の城の中に消えてしまいました。

長坂の戦いでは、垂仁天皇(劉備)に見捨てられたマトノ姫(芙蓉姫)がホムチワケを連れて共に逃げていました。マトノ姫は木の枝に懸かってホムチワケと共に死のうとします。ヤガミ姫が木の俣に子供を挟んで逃げたように。

そこに菟上ウナガミ王(趙雲)が現れ、ホムチワケを引き受けました。大国主は木の俣から逃れました。

マトノ姫はウナガミ王の足手まといにならないように、深い淵(井戸)に身を投げます。

ヤマトタケルの妻・オトタチバナヒメは菅疊八重スガダタミヤエ

皮疊八重カワダタミヤエ

絁疊八重キヌダタミヤエを波の上に敷いて入水しました。


ホムチワケは長いヒゲが胸に至るまで喋ることも出来ませんでした。

スサノオは長いヒゲが胸に垂れ下がるまで「母に会いたい」と泣きわめいておりました。

ウナガミ王はホムチワケを連れて曹操の大軍の中を駆け抜けます。

奈良の道から行ったなら跛ちんばだの盲めくらだのに遇うだろう。

大阪の道から行っても跛や盲に遇うだろう。


こうして出雲大神へお参りし、肥ヒの河に辿り着きます。

ヤマトタケルは肥の河の橋の下で出雲タケルと刀を交換します。

スサノオは肥の河八鹽折の酒を醸させ垣に八つの門を作り門ごとに八つの台を置き、八頭八尾で谷八つ峰八つの長さの八俣遠呂智ヤマタノオロチをお斬り散らしになつたので、肥の河が血になって流れました。ここで刀が折れ、オロチの尾からクサナギの剣を手に入れます。

アヂシキタカヒコネ神(咫烏ヤタガラス)はオトタナバタ姫と二人を渡らせます。

天の川に隔たれた牽牛と織女を、カチガラス(カササギ)の群れがとなって渡らせます。【七夕物語】

曙立アケタツ王(張飛)たちは肥ヒの河の中に黒巣橋を作りました。

アケタツ王はカシの木を枯らしたり活かしたりしましたので登美の豊朝倉のアケタツ王という名前を頂きました。

ニニギは八重多那雲ヤエタナグモを押し分け、勢いよく道を押し分け、天の浮橋に降り立ちます。

ヤマタノオロチは高志コシの国から女性を求めてやってきます。

八千矛ヤチホコ神(大国主・オオビコ)は高志の国から女性を求めてやって来ます

大国主はヤガミ姫と婚約中にスセリ姫と結婚します

ヤマトタケルはミヤズ姫と婚約中にオトタチバナヒメと結婚します。

ホムチワケは二俣の杉で遊びます。

西方のクマソタケルは室を作り、軍隊が三重に囲んでおりました。

この時、長坂の橋を落としてホムチワケを守った張飛が持っている武器は蛇矛。のちに、車騎将軍に任命されます。


次に竹取物語


蓬莱の珠の枝を求められた車持の皇子は、鍛冶職人六人を呼んで竈を三重に囲った柵の中に築く。

かぐや姫に言われたのと違わないように造った枝を持って来ると「車持の皇子が優曇華ウドンゲの花を持って上京なさった」と騒ぎになる。

翁が入手を尋ねると、皇子は嘘の話を始める。

「海の中に出て、どちらへ行ったら良いのかも分からない。生きている限り、こうやって航海して蓬莱という山に出会うかもと、我が国の中を離れて航海していたところ、ある時は海底に沈みそうになり、ある時は鬼のようなものが出て来て殺されそうになった。

海のただ中にかすかに山が見える。天人の服装をしている女が、山の中から出て来て水を汲んでいる。『この山は何という山ですか?』と尋ねると『蓬莱の山です。私の名はうかんるり(芙蓉姫)』そう言って山の中に入った。

金・銀・瑠璃色の水が山から流れ出している。

そこには色とりどりの宝石で出来た橋が渡してある。その辺りに照り輝く木が立っている。その花を折って参ったのです。」

そこへ鍛冶職人六人が請求書を持って来る。

かぐや姫は鍛冶職人へ褒美を与えた。

車持の皇子は血の流れるまで職人たちを打ち据える

皇子はあまりの恥ずかしさに山の中へ入っていった。

このことを「たまさかる」と言い始めたのである。


もう一度古事記


ヤマトタケルは足が三重のようになって疲れました。

垂仁天皇は玉を作った人たちを憎み領地を奪いました。それでことわざに、「地トコロを得ない玉作たまつくりだ」というのです


これまでも述べてきたように

ヤマタノオロチは天の川であり橋でもあります。オロチ=張飛であり、男女の架け橋と言えるでしょう。

また橋の先にあるのは、出雲や高千穂・蓬莱山。出雲も高千穂も太い宮柱を立て、高い建物を造るのが共通します。旧約聖書でいう洪水・方舟のあとのバベルの塔のように。その後、劉備は漢中王を名乗り蜀漢を起こしますが、関羽と張飛を次々と失います。事代主とタケミナカタが敗れて大国主が国を譲ったように。バベルのあと人々が離散したように。

しかしここで初めて、鍛冶職人がヤマタノオロチという側面が見えて来るのです。更に西方のクマソタケルも鍛冶職人として表されています。

竹取物語では六人の鍛冶職人ですが、実は古事記にもこっそり六人の鍛冶職人が明記され、彼らは珠の枝を作ります。岩屋の前で。

長くなりましたが最後にヤマタノオロチという名の鍛冶職人六名をご紹介しましょう。


オモイガネ(車持の皇子)


鍛人・アマツマラ

イシコリドメ

タマノオヤ

アメノコヤネ

フトダマ

アメノタヂカラヲ(九頭竜)


なお、アメノウズメ(中納言石上麻呂)の股間の貝がツバメの子安貝です。