2024.4.25

劉備玄徳によって、水魚の交わりと称され、三顧の礼で迎えられた諸葛亮孔明。伏龍、臥龍。

軍師である孔明は基本的に建内宿禰であるが、神武天皇の妻・伊須氣余理イスケヨリ姫でもある。

 

東征を終えた神武天皇(劉備)には

饒速日ニギハヤヒ(関羽)と大久米オオクメ(張飛)が仕えています。

伊須氣余理イスケヨリ姫がオオクメに、「千人勝りの勇士だというのに、どうして目に刺青をしているのですか?」と問いかける。

 

そのイスケヨリ姫の家はサヰ河のほとりと記される。山百合草がたくさんあったとも(孔明の出身地は山東省臨沂市沂南県。ここの川は沂河ギガ・沂水ギスイ)。この川の名がサヰなのは、山百合の昔の名前がサヰだからと記されます。

 

なお、ニギハヤヒの正体は三本足の八咫烏。

三本足の正体は八咫鏡・ヤマタノオロチ(赤兎馬)・スサノオ(関羽)。ニギハヤヒの子供が馬シマジ。

 

神武天皇は七人の女性の中から一人の女性を選びます。これがイスケヨリ姫です。

 

ここで、実は皆さんもご存知の中国の昔話、クジャクの舞を紹介します。

昔々、ジプソンパンナという所に若い狩人がおりました。ある日狩人は静かな湖に辿り着きます。

一、綺麗なクジャクが七羽、岸辺におりてきました。

クジャクたちは着ていた羽衣を脱ぎ捨てると、美しい娘となり、楽しそうに泳いでいます。水浴びがすむと、羽衣を着て舞いました。狩人は声をかけれませんでした。

二、狩人は一番下の娘を好きになり、翌日同じ場所に来て、羽衣を隠してしまいます。狩人は娘と結婚しました。しかしやがて娘は人間たちに魔女扱いされ、羽衣を着てクジャク山へ帰って行きます。

三、狩人はクジャク山へ行って、また結ばれます。

 

これが劉備と孔明との三顧の礼(劉備が孔明の元を三度訪れたお話)です。

孔明が鶴のような衣を着ている理由でもあります。

羽衣と言えば竹取物語ですね。

 

一、帝は、中臣房子に申し付けて、かぐや姫の家を訪ねさせ、拝見して来いと述べる。

かぐや姫に会うことを断られる

二、翁に申し付けて、かぐや姫を参内させよと述べる。

死ぬつもりだと言って、かぐや姫に断られる

三、狩に出かけると称してかぐや姫の家に行く

連れて帰ることは出来なかったが、両想いになる。

 

かぐや姫は最終的に羽衣を着て記憶を失くし、月に還る。

 

羽衣を着て月に還ったかぐや姫がどこに出たかというと、天の岩屋の中です。暗い岩屋の外からは笑い声も聞こえてきて賑やかだったので、彼女は気になってそっと岩屋戸を開いて外を覗き込みました。すると鏡を見せられ、これが貴女ですと言われる。腕を引っ張られ外に出された彼女には月の女神・天照大御神という名が与えられました。

※同時に瀬織津姫が岩屋に閉じ込められる

 

最初にイスケヨリ姫の家は山百合草がたくさんあったと述べました。

もう分かりましたか?

山百合のもとの名前・サヰとは羽衣のことなんです。

 

 

神武天皇とイスケヨリ姫の「水魚の交わり」でした。三国時代の孔明は男性です。念のため。

 

※當藝志美美命タギシミミが神武天皇の息子3人を殺そうと企む。イスケヨリ姫が3人に、「風が吹き出す」と伝える。3人兄弟のうち2番目のカムヤイミミがタギシミミを殺せない。

※曹操が劉備軍を攻める。孔明が「東南の風」を吹かせる。3人の義兄弟のうち2番目の関羽が曹操を見逃す。

 

※孔明は自身の遺言により漢中の定軍山に葬られた。墳墓は山の地形を利用して作り、棺を入れるだけの小規模なもので、遺体も着用していた衣服を着せたままで、副葬品は一切入れないという質素なものであった。

※かぐや姫が帝に託した不老不死の薬は、富士の山の頂上で燃やされた。その煙は未だに、雲の中に立ち昇っている。