2024.4.23

劉備玄徳の最初の妻子は呂布に奪われた。名前も素性も分からない。(横山光輝三国志・吉川英治三国志ではこれがおそらく芙蓉姫フヨウヒメ。鴻家の娘とされる)

この時から側室として甘夫人がいる。

貧しい家で育った甘夫人はずっと側室だった。

最初の正室が亡くなったあと次の正室が麋ビ夫人。(吉川英治三国志ではこれも芙蓉姫)

のちに井戸に身を投げる麋夫人と、甘夫人は仲が良かったとされる。

※NHKの人形劇三国志では井戸に身を投げた淑玲スウリンと、孫尚香が瓜二つとされた。孫尚香は劉備と30歳くらいの差があるとされる。

 

側室の甘夫人が劉禅を生む。

翌年、長坂坡の戦いにて曹操の大軍に追われた劉備は妻子を捨てて逃げた。

三国志演義ではこの時麋夫人が重傷を負いながら劉禅を抱いて逃げていたところ、趙雲に出会って劉禅を託し、井戸に身を投げる。

趙雲に助けられたとされる甘夫人も翌年に亡くなっている。

次に結婚した孫尚香は呉に帰る。

最後に穆皇后ボクコウゴウ(呉氏)と結婚する。

 

 

それでは最初の妻子を除いて劉備の四人の妻を並べる。

 

見捨てられた側室の甘夫人。劉禅を生んだ

見捨てられ井戸に身を投げる麋夫人。

孫尚香。

穆皇后ボクコウゴウ。

 

 

垂仁天皇(生没BC69〜70)は四姉妹と結婚している。

 

ヒバス姫。

オト姫。

返されたウタコリ姫。

返され淵に堕ちて死ぬマトノ姫。

 

井戸に身を投げる麋夫人・フヨウ姫・スウリン。そして淵に堕ちて死ぬマトノ姫。おそらくフヨウ姫と孫尚香はそっくりだったのだろう。お市と茶々。タシギとくいな。浜路姫と甲斐の浜路姫。桜姫と佐古下柳のように。ただ、劉備はフヨウ姫を捨てて逃げた。瓜二つの孫尚香が勝手に振舞ったというのは、わかる気がする。

 

※瓜二つの女性と出会うのは、どの作者も知らない共通のキャラ設定① 炎の剣士にて。

 

劉備玄徳(161〜223)

成務天皇(在位131~190)が、弟財郎女オトタカラノイラツメと結婚して生まれた子は和訶奴氣ワカヌケ王。

建内宿禰タケシウチノスクネを大臣とする。

 

※タケシウチノスクネはおそらく諸葛良孔明、ワカヌケ王は劉禅であろう。つまり若い女性オトタカラノイラツメが甘夫人となる。甘夫人は中国歴朝で最も名高い美人百人に選ばれている。

 

※芙蓉

中国原産の花。昔から美しい人の例えに用いられる。劉備の妻を芙蓉姫と呼ぶのは日本だけである。(横山光輝三国志・吉川英治三国志だけの表記)

 

※酔芙蓉スイフヨウ

フヨウ属の代表である芙蓉は花弁が5枚の一重咲きだが、酔芙蓉はほとんど八重咲きで、稀に一重咲きのものもある。 酔芙蓉の花は、朝は白いが午後になると徐々に赤くなり、夕方には濃い赤色になって萎んでしまう一日花。 白から赤くなっていく様を酔に例えて酔芙蓉と名付けられた。

 

※淑玲スウリン

黄巾の乱で劉備と出会い、妻となり阿斗(劉禅)を儲ける。長坂の戦いで阿斗と共に蜀軍からはぐれて手傷を負い、駆けつけた趙雲に阿斗を託すと井戸へ身を投げて死亡した。彼女を失った後に呉を訪れた劉備は、孫権の妹・貞姫(孫尚香)に淑玲の面影を見出し、妻に迎えることになる。