2024.4.18

中国を統一した秦の始皇帝が死去したあと、秦を滅ぼした楚の項羽と漢の劉邦が争って、劉邦が漢を建国する。

これが秦の時代から前漢の時代への流れ。

 

これまで秦の始皇帝の子孫が日本にやって来ていたと述べてきたが、楚や漢に関しては述べて来なかった。

ただ、最近の私の記事に示すように、失われた十支族とイスラエル12部族との争いとして描かれるアニメは、日本人をとても熱くさせてきた。アニメのみならず戦国時代の織田信長や、真田十勇士・里見八犬伝などもそうである。とても好まれるのだ。

 

そこで三国志。劉備と曹操である。中国のお話なのだが特に劉備玄徳は日本人にも人気が高い。

 

実は古事記には渡来人として秦と漢の両方が描かれておりますので

これまでと同じように幾つかのキーワードを

三国志から抽出してみます

 

項羽と虞美人 → イシククル湖の二人の男女。倭建命とオトタチバナ姫・ミヤズ姫。

洪水・ヤマタノオロチ → 黄巾の乱

スサノオ → 董卓・呂布

五老星 → 五虎大将軍

雷の呼吸 → 黄忠

鶴の恩返し → 諸葛良孔明の衣装

隻眼 → 夏候惇

赤い龍 → 赤壁の戦い

 

ぱっと思いつくのはこの辺でしょうか。

掘る価値がありそうです。

 

 

 

京劇・覇王別姫でも有名な虞美人。

覇王を名乗った項羽の終盤の物語に

古事記のヤマトタケルの文章切り抜きを添えます。

※古事記は時系列を無視します。

 

四面楚歌で追い詰められ死を覚悟した項羽。その夜に酒を飲みながら、虞へ垓下の歌を歌う。「我が力は山をも動かし、我が気迫は世界をも覆うほどに強大だが、我が愛馬は進もうとしない。馬が進まないのにいったい何が出来るというのか。虞よ、虞よ。お前をどうしたらよいか」

その歌に合わせて虞が舞う。

舞った後に自殺する。彼女を葬った墓には赤くヒナゲシが咲いた。これが虞美人草と呼ばれるようになる。

 

白い猪の大氷雨で惑わされたヤマトタケルは歌う。「私の心はいつも空を飛んで行くと思われたが、今は歩くことが出来なくなって、足がたぎたぎしくなる。」

ミヤズ姫がお酒盃を捧げて参る。そのミヤズ姫には既に血が付いている。ヤマトタケルは歌う。「仰ぎ見る、アメノカグヤマ~」ミヤズ姫は返す。「あなた様をお待ちいたしかねて月が経つでしょう。」ヤマトタケルはクサナギの剣を置く。弟橘姫は歌う。「燃ゆる火の火中に立って(四面楚歌)、私をお尋ねになったわが君。」ヤマトタケルは弟橘姫の櫛を取り、墓を作って納めた。ヤマトタケルは歌う。「我が妻よ。」「生き残った人はカンザシを挿しなさい。」

 

湖に沈む都市レムリア。人々は沈みながら皆歌を歌った。その歌に囲まれる二人の男女。女性は自分の命を犠牲にして男性を救う。

 

項羽はその後、漢軍の包囲網を突破して道に迷い、道を尋ねた田父に騙されて沼沢の地に陥り、漢軍に追いつかれる。

 

ヤマトタケルは相模の国に辿り着き、その国の者に騙される。「この大きな沼に住む神は、ひどく乱暴です。」と。沼へ向かったタケルは炎に囲まれる。

 

項羽は東に転じて東城県に着き、従う騎兵たちに語る。

「兵を起こして8年。70余回戦った。」

そして長江を渡るべく烏江という土地にたどり着く。

そこの亭長が述べる「江東は小さなところですが土地は千里あり、万の人が住んでいます。渡ってください。」

項羽はこれを断ってこの亭長に愛馬の騅スイを渡す。

「江東は八千人を率いて初めて旗揚げしたところ。そして一人も生還していない。あまりにも面目ない。」

 

ヤマトタケルは東へ向かい、歌をうたう。「筑波を過ぎて幾夜寝たか。」火を焚く老人がいる。弟橘姫は歌う。「燃ゆる火の、火中に立ちて私をお尋ねになったわが君。」七日後、弟橘姫の櫛が流れ着く。火を焚いていた老人が答える。「夜にはここのよで、日にはとおかを。」ヤマトタケルはこの老人を褒めてアズマの国のみやっことする。タケルは愛する弟橘姫の櫛を取り、墓を作って納めた。

ミヤズ姫は歌う「新しい年が過ぎ去れば、新しい月も来て過ぎ去る」

ヤマトタケルは歌う。「ヤマトは国のまほろば」

 

項羽は漢軍を迎え撃ち、その後自らの首を刎ねる。

項羽は重瞳(瞳が二つ)だったと伝えられる。

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※どの作者も知らない共通のキャラ設定① 炎の剣士

 

 

次に

項羽が四面楚歌で追い詰められる以前のお話に

古事記のヤマトタケルの文章切り抜きを添えます。

※時系列は同じ

 

項羽は会稽郡の役所に赴いて、叔父に命じられて郡守の頭を斬り落とし、襲い掛かってきた部下百人を殺す。

その後、襄城を攻め落として城兵すべてを生き埋めにする。

 

ヤマトオグナは父に言われて厠に赴き、兄の手足を折ってコモに包んで投げ捨てる。

 

叔父の命令で西に向かい、李由を討ち取る。

兵は飢え、苦しむ中、楚軍の上将軍である宋義は息子の宋襄のために大宴会を開く。項羽は上将軍である宋義を殺し、追いかけて宋襄をも殺す。

 

ヤマトオグナは父の命令で西方に向かい、宴の中で二人のクマソタケルを殺す。弟のタケルが逃げ出したので、追いかけて殺す。

 

項羽は上将軍に任命される。

 

ヤマトオグナはタケルの名を貰う。

 

項羽は鉅鹿の戦いにおいて、3日間の食料だけを残して全て黄河に捨てて、20万を超える大軍に勝利を収めた。その後さらに、降伏した20万以上の兵を生き埋めにしている。

 

ヤマトタケルはお昼を食べる時に白い鹿に会い、残りの片端で白い鹿を殺す。

 

関中に入ろうとするが、劉邦が先に入っていた。劉邦は和睦の話し合いを行う(鴻門の会。項羽は酒宴を開き、本当はその中で劉邦を殺すはずだったが、卑屈な態度の劉邦に気が失せ、三回もの合図を無視した。)

項羽は逃れた劉邦と広武山の澗水を隔てて語り合った。

 

ヤマトタケルはイブキ山で白い猪に会う。「今殺さずに還る時に殺そう。」

 

項羽は外横県の15歳以上の男子をすべて生き埋めにしようとする。この時13歳の少年に言われたことがきっかけで許している。コビーと赤犬【ワンピース】

その後、垓下にて四面楚歌の歌を聞く。

 

※どの作者も知らない共通のキャラ設定① 炎の剣士も参照。ゾロ・赤犬・煉獄杏寿郎など

 

ヤマトタケルが死んだあと、人々は四つの歌を歌う。これが四面楚歌を表すと思われる。

不思議なことに、古事記ではこの歌は天皇がお亡くなりになられた時に歌う歌と書かれるのだが、実はヤマトタケルは歴代天皇ではない。