なよ竹のかぐや姫が私たちに与えていた難題の答えを記すために竹取物語古事記のピースを比較していきます。

先ずは天岩屋戸のシーン

 

 

竹取物語

この子の容貌の美しいことは、世にまたとなく、家の中には暗い所がなく光に満ちている。

 

古事記 天岩屋戸

天の岩屋戸をあけて中にお隱れになりました。それですから天がまつくらになり、下の世界もことごとく闇くなりました。永久に夜が續いて行つたのです

 

竹取物語

石作の皇子は、大和の国十市の郡にある山寺で、賓頭盧ビンズルの前にあるの、真っ黒にすす墨がついているのを手に入れて、綿の袋に入れ、造花の枝につけてかぐや姫の家に持ってきて見せた。

 

古事記 天岩屋戸

天の安の河の河上にある堅い巖イワヲを取つて來、天の金山のマガネを取つて

 

竹取物語

車持の皇子は、人々には出発したと見せかけて、三日ほどして難波に漕ぎ戻ってきた。当時、随一の至宝とされていた鍛冶細工師六人を召し寄せ、蔵の財産すべてをつぎ込んで玉の枝を作らせた。難波にひそかに運び込んだ。

 

古事記 天岩屋戸

鍛冶屋の天津麻羅アマツマラを尋ね求め、伊斯許理度賣イシコリドメの命に命じて鏡を作らしめ、玉祖命タマノオヤの命に命じて五百津之御須麻流之イヲツノミスマルノタマ(大きな勾玉が澤山ついている玉の緒の珠)を作らしめ、天香山アメノカグヤマの茂つた賢木サカキを根掘にこいで、上の枝に八尺勾璁之五百津之御須麻流之玉を懸け、中の枝に八尺鏡を取り繋け、下枝に白和幣青和幣を取り垂しでて、

 

竹取物語

右大臣の阿部御主人は、日本にやってきた唐船の王慶という商人へ、「火鼠の皮というものを買って送ってほしい」と手紙を書き、

火にくべて焼かせてみると、めらめらと焼けてしまった「思ったとおり、他の物の皮ですね。」

 

古事記 天岩屋戸

天の兒屋の命・布刀玉の命を呼んで、天の香山の男鹿の肩骨をそつくり拔いて來て、天の香山の天の波波迦ハハカを取りて、燒いて占わしめました

 

竹取物語

大伴御行大納言は、難波の港まで出かけた。船に乗り込み、龍を探しにあちこちの海を巡っているうちに、たいそう遠く、筑紫の方面にまで出てしまった。疾風が吹いて、あたり一面暗くなり、暴風に荒波、そのうえ雷まで頭の上に落ちかかる。

大納言は誓願の詞を唱えた。立ったり座ったり、泣きながら、千度ほども唱えた。

両眼は、李スモモを二つくっつけたように腫れ上がっている。

これを聞いて、離別していた元の奥方は、腹がよじれるほどに大笑いした

 

古事記 天岩屋戸

布刀玉の命がこれをささげ持ち、天の兒屋の命、太祝詞フトノリトを唱え

 

竹取物語

中納言の石上麻呂足は、倉津麻呂に尋ねた。「燕が子を産む時機をどのように判断して、人を上に吊り上げたらよいのか?」

中納言は倉津麻呂の進言を大いに喜び、着ていた衣装を脱いで褒美として与えた。

日が暮れてしまったので、御覧になると、本当に燕が巣を作っている。荒籠に人を上がらせて、吊り上げさせて、ツバメの巣に手を差し入れさせて探るが、

 

古事記 天岩屋戸

天の宇受賣ウズメの命、天の香山の天の日影を手次タスキに繋けて、天の眞拆マサキを鬘カヅラとして、天の香山の小竹葉ササバを手草タグサに結ひて、天の石屋戸の前に桶を覆フせて踏み鳴らし、神懸カミガカリして胸乳を出で、裳の緒をウズメの陰部に垂らしましたので、天の世界が鳴りひびいて、八百萬の神共に咲ワラいました

 

竹取物語

かぐや姫は容貌が世間に似たものがなく美しいことを、帝がお聞きになって、

帝は急に日程を決めて、御狩にお出かけになって、かぐや姫の家にお入りになって御覧になると、光が満ちて、清らかで美しい姿で座っている人がいる

逃げて奥へ入る袖をお捕まえなさると、「手を緩めるつもりはない」といって、連れておいでになろうとすると、このかぐや姫は突然、影になってしまった。

 

古事記 天岩屋戸

少し戸からお出かけになる所を、隱れて立つておられた手力男タヂカラヲの神がその御手を取つて御輿をお寄せになると、

 

 

次に神武東征(狩・夢)のシーン

 

竹取物語

今となっては昔のことだが、竹取の翁という者がいた。名を讃岐の造と言った。その竹の中に、根本が光るが一本あった。手に入れて、家へ持って来た。たいそう幼いので、籠に入れて育てる。

 

古事記 神武東征

わたくしの夢に、

天照大御神と高木の神のお二方の御命令でタケミカヅチの神、降つて行けと仰せになりました。

「わたくしが降りませんでも、その時に國を平定した大刀がありますから、これを降しましよう。」

「この大刀の名は布都の御魂という。この大刀を降す方法は、高倉下タカクラジのの屋根に穴をあけて其處から墮し入れましようと申しました。」

「お前は朝目が覚めたら、この大刀を取つて天の神の御子に奉れとお教えなさいました。」

 

竹取物語

皇子が言うには、「出発して五百日目という日の朝八時ごろに、海上にかすかに山が見えます。」

「天人の服装をした女が山中から出てきて、銀の椀を持って水を汲み歩いています。これを見て、船からおりて、『この山の名はなんと申しますか?』と尋ねました。女が答えて言うには、『これは蓬莱の山です。』女は、『私の名はうかんるり』と言って、すうっと山の中に入ってしまいました。」

 

古事記 神武東征

神倭伊波禮毘古カムヤマトイハレ彦の命は、熊野の村においでになつた時に、大きな熊がぼうつと現れて、消えてしまいました

 

(※紀州 龍神村には、この地域が蓬莱であるという説も存在している)

 

竹取物語

合わせて二千人の人を、竹取の家に派遣なさる。

かぐや姫は、「合戦を挑もうとしても、あの国の人が来たならば、勇猛心をおこす人も、よもやありますまい。」

「あの月の都の人は、たいへん美しく、年を取りません。思い悩むこともないのでございます。」

こうしているうちに、宵も過ぎて、夜中の十二時頃に、家のあたりが、昼の明るさ以上に光った。満月の明るさを十倍したぐらいで、

家の内外にいる人の心は、魔物に取りつかれたようで、一緒に戦おうとする気持ちもなかった。

気持ちがただぼんやりするばかりで、見つめ合っている。

 

古事記 神武東征

ここにカムヤマトイハレ彦の命は俄に氣を失われ、兵士どもも皆氣を失つて倒れてしまいました

この時熊野の高倉下という者が一つの大刀をもつて、天の神の御子の臥しておいでになる處に來て奉る時に、お目覚めになつて、「隨分寢たことだつた」と仰せられました。

 

 

ここで天岩屋戸のシーンに戻ります

 

竹取物語

「手を緩めるつもりはない」といって、連れておいでになろうとすると、このかぐや姫は突然、影になってしまった。「元の御姿におなりなさい。それを見るだけで帰ろう。」と仰せになられると、かぐや姫は元の形になった

「かぐや姫は、罪を犯しておられたので、このように身分の低いお前のもとに、しばらくいらっしゃったのだ。罪の期限が終わってしまったので、このように迎えに来た

閉じ込めてある場所の戸が、即座に、ただ完全に開いてしまった

 

古事記 天岩屋戸

その御手を取つて引き出し申し上げました。かくて天照大御神がお出ましになつた時に、高天の原と葦原の中つ國と自然と照り明るくなりました。

 

古事記はこのあと

須佐之男が肥の河へ参ります。

次に古事記の神功皇后が三韓征伐して難波へ還る下りを。

古事記では三韓ではなく新羅國と百濟國の二国だけの登場。

 

竹取物語

車に乗って、百人ほどの天人を連れて、天に昇ってしまった

 

古事記 三韓征伐

かような次第で新羅の國をば馬飼とお定め遊ばされ、百濟の國をば船渡りの役所とお定めになりました。そこで御杖を新羅の國主の門におつき立て遊ばされ、住吉の大神の荒い御魂を、國をお守りになる神として祭つてお還り遊ばされました。お腹の中の御子がお生まれになろうとしました。そこでお腹をお鎭めなされるためにをお取りになつて裳の腰におつけになり、

 

新羅と百濟を制圧して一國とする。つまりこれ以降の古事記の文章にある新羅國とは旧百濟國でもある。

 

 

では古事記。新羅で生まれながら難波へ還る阿加流比賣神

 

竹取物語

今となっては昔のことだが、竹取の翁という者がいた。名を讃岐の造と言った。その竹の中に、根本が光る竹が一本あった。手に入れて、家へ持って来た。たいそう幼いので、に入れて育てる。

 

古事記 阿加流比賣神

新羅(旧 百濟)の國に一つの沼がありまして、名を阿具沼といいます。

この沼のほとりで或る賤の女が昼寝をしました。そこに日の光が虹のようにその女にさしましたのを、或る賤の男がその有樣を怪しいと思つて、その女の様子を伺いました。しかるにその女はその昼寝をした時から妊んで、赤い玉を生みました。その伺つていた賤の男がその玉を乞い取つて、常に包んで腰につけておりました。國王の子の天の日矛に遇いました。腰につけていた玉を解いてその國王の子に贈りました。

床の邊に置きましたら、美しい孃子になり、遂に婚姻して本妻としました。

その女が「大体わたくしはあなたの妻になるべき女ではございません。母上のいる國に行きましよう」と言つて、しのびて小船に乘つて逃げ渡つて來て難波に留まりました。

 

もう一度天岩屋戸

 

古事記 天岩屋戸

その御手を取つて引き出し申し上げました。かくて天照大御神がお出ましになつた時に、高天の原と葦原の中つ國と自然と照り明るくなりました。

 

 

ここまでの段階で、

月に帰る、なよ竹のかぐや姫 = 

天岩屋戸へ閉じこもる天照大御神・難波へ還る阿加流比賣神・難波へ還る神功皇后

 

月に帰ってからの、なよ竹のかぐや姫 =

天岩屋戸を開いた天照大御神

 

この図式がなんとなく浮かんで来ましたでしょうか?

 

 

それではここで、

孔雀の舞(中国。おそらく百濟の昔話。日本では天女の羽衣伝説。)と七夕物語(これもおそらく百濟の昔話。)さらに日本の浦島太郎

 

竹取物語

天人の中に持たせている箱がある。天の羽衣が入っている。また一つある箱には、不死の薬が入っている。「天の羽衣を着せられた人は、心が普通の人とは違ってしまうのだという。」

さっと天の羽衣をかぐや姫にお着せ申し上げると、「翁を気の毒だ、いとおしい。」と思っていたことも失せてしまった。

 

孔雀の舞

むかしむかし、シプソンパンナというところに、若い狩人がいました。きれいなクジャクが、ぜんぶで七羽、岸辺におりてきました。クジャクたちは着ていたクジャクの羽衣を、さっと脱ぎ捨てました。

「クジャクが羽衣を脱いだとき、その中の一枚をこっそり隠しておきなさい」

「それがないと、クジャク山へ帰ることができません」

「結婚してください」

娘はクジャク山の王さまのクジャク姫という名前でした。

「わたくしは、魔女ではありません。どうして、こんなひどいことをなさるのですか!」

クジャク姫はそれを着ると、しずかに舞いはじめました。

人びとはクジャク姫の美しい舞い姿に、ウットリと見とれていました。縄を持った家来も、いつのまにか縄を離しました。悪い心の人も、清らかな心になっていきました。

 

竹取物語

「山の側面をめぐってゆくと、金色、銀色、瑠璃色の水が、山から流れ出ています。川には色とりどりの珠で作った橋が渡してあり、の近くにはきらきら照り輝く木々がたくさんあります。この花を折って持参したのです。こうして、昨日、難波から帰京したのです。」

 

七夕物語

貧しいけど働き者の若者「牽牛」のもとに美しい娘「織女」が現れます。夫婦となって数年たったある日、「織女」は突然、天に呼び戻されてしまいます。実は「織女」は天帝の孫娘だったのです。ようやく、天に昇り「織女」との再会を果たしますが、天帝の后がふたりの仲を裂くように天に一筋の線を引いてしまいます。これが“天の川”となり、ふたりは離れ離れになってしまいます。
一年に一度、七月七日の夜にだけ会うことが許されますが、その日は、何千万羽というカササギが飛び交い、天の川の上に橋を作り「牽牛」と「織女」はこのを渡り落ち合うといいます。

 

孔雀の舞

姫は、おじいさんに自分の金の腕輪をわたして、
「あの方がここへきましたら、これを渡してください」

「これを姫だと思って、持って帰りなさい」
こういっておじいさんは、金の腕輪をくれました。

「どんなめにあっても構いません。わたしは姫に逢いたいのです。」

「そうか、それほど言うのなら、これを渡そう」
おじいさんは狩人に、魔法の弓と矢をくれました。

「途中に、三つの危険なところがある。この弓と矢で乗りこえていきなさい」

こんどは、大きな川がありました。おどろいたことに、川はグラグラと、にえたっているのです。

狩人は目をつぶって、ピューッと、川の中に矢を放ちました。すると、壁のような大波がわきおこったかと思うと、真っ赤な龍がおどりでてきたのです。
「くるしい! 矢をぬいてくれ! おまえのいうことは、なんでも聞くから!」

真っ赤な龍は、尻尾をこちらの岸につけ、頭をむこう岸につけました。これで、ができました。

 

古事記

須佐之男命は肥の河でヤマタノオロチ(天の川)を退治し、草那藝之大刀を手に入れて天照大御神に献上する。

 

竹取物語

車持の皇子は蓬莱の金銀瑠璃色の川で玉の枝を手に入れてかぐや姫に献上する。

 

竹取物語

「天人の服装をした女が山中から出てきて、銀の椀を持って水を汲み歩いています。これを見て、船からおりて、『この山の名はなんと申しますか?』と尋ねました。女が答えて言うには、『これは蓬莱の山です。』女は、『私の名はうかんるり』と言って、すうっと山の中に入ってしまいました。」

 

浦島太郎

遙か遠くの海上に、小さい船が一艘浮かんでいました。美しい女性がたった一人、波に揺られながら、次第に太郎が立っている所へ近づいてきて漂着しました。

「ある所へ行くため、船に乗っておりましたところ、折り悪く波風が荒れ狂って」

浦島太郎も気の毒に思い、同じ船に乗って沖の方へと漕ぎ出しました。船から上がって、どんな所だろうか、と思うと、銀の塀に囲まれ、金の屋根瓦を並べ、この女の邸宅はそれ程に見事で。

「旅の途中、見知らぬ者どうしがたまたま同じ川の水を汲んで喉を潤すことも、前世からの宿命に違いない」

そうして、一生涯の夫婦となる契りを固く結んだ。

「ここは竜宮城と申す所」

あっという間に三年が経ちました。綺麗な箱を一つ取り出し

「絶対にこのをお開けになってはいけません」

浦島太郎の返す歌

別れ行く上の空なる衣ちぎり深くはまたもきて見ん

「その浦島という人が生きていたのは、もう七百年以上も前のことだと伝え聞いております」(不死の薬

浦島は鶴になって蓬莱の山へと飛んで行き

 

孔雀の舞

それから空高く舞いあがって、とうとうクジャク山につきました。泉のほとりで、一人の娘が水を汲んでいました。
「クジャク姫を、知りませんか?」
「あら、このお水をクジャク姫さまのところヘ、汲んでいくところですのよ」

狩人は、腕輪をこっそり、その水桶の中にいれました。
娘は何も知らずに、水を汲んで帰っていきました。
クジャク姫がふと、水桶の中を見ると、自分の腕輪が光っています。
「あの方が、来て下さったのだわ!」

 

古事記 豐玉毘賣

ここに海神の娘のトヨタマ姫の侍女が玉の器を持つて、水を汲もうとする時に、頸にお繋けになつていた珠をお解きになつて口に含んでその器にお吐き入れなさいました。しかるにその珠が器について、女が珠を離すことが出來ませんでしたので、ついたままにトヨタマ姫にさし上げました。そこでトヨタマ姫が珠を見て、「門の外に人がいますか?」

海神はやがてその女トヨタマ姫を差し上げました。そこで三年になるまで、その國に留まりました。

 

竹取物語

かぐや姫は、「石作の皇子には、仏の尊い石の鉢という物がありますので、それを取ってきて私に下さい。」と言う。「車持の皇子には、東の海に蓬莱という山があり、そこに銀を根とし金を茎とし白い珠を実とする木が立っているといいます。それを一枝、折ってきて頂きましょう。と言う。「もう一人の方には、唐にある火鼠の皮衣を下さいますよう。大伴の大納言には、龍の頸に五色に光る珠がありますから、それを取ってきて下さい。石上の中納言には、燕の持っている子安貝を一つ取ってきて下さい。」と言う。

 

つまり、山幸彦が龍であるということになる。

山幸彦は天皇家の御先祖様。それが龍だというのだ。

古事記に龍という名称が登場しない理由が、これで明らかになった。

 

五人の貴公子は色々と変化しているのが分かると思います。ただ、六人の鍛冶細工師のうち何名かは判明します。

天兒屋命

布刀玉命

伊斯許理度賣命

玉祖命

鍛人 天津麻羅(命とかが付いていない為、アマツマラは団体名の可能性がある)

 

ここまでがハッピーエンドの方向だが、

キルギスにあるイシククル湖の伝説も重ねておきます。

 

湖のある場所に都市があった。

住民は特別な性質を持つ井戸を使っていた。

水を汲みだした後は必ず鍵を掛けるか、重い石を乗せる必要があった。

一人の少女が水を壺に満たした。

その時彼女の恋人が近づいたので、二人は話に夢中になり、井戸に鍵を掛けることを忘れた。

そのうち水が井戸からあふれ、都市と谷を埋めた。

 

そして、別の伝説も。

 

ある人が通った時、そこは街だった。

その人が500年後に通った時、街はなかった。

またその人が500年後に通った時、一面は海だった。

 

ここに日本の昔話「塩ふきうす」も重ねる。

 

情深い弟が思いのままの物が出てくる臼をもらう。 欲深い兄がそれを奪って舟で逃げ,臼をひいて塩を出すが,止め方を知らないので塩が舟にあふれて沈没。この臼が今も止まっていないので、海の水は塩辛い。というもの。

 

実はイシククル湖には塩分が含まれる。

さらにレムリア。

 

大陸が沈むその中で、皆が歌いながら海に沈んだと言われる。

 

玄奘三蔵の「大唐西域記」

 

熱海と呼ばれるその海には、竜と魚が共存していた。

 

 

 

次に倭建命と美夜受比賣ミヤズヒメの歌

 

竹取物語

このように、お心を互いにお慰めになるうちに、三年ほどがたって、春のはじめから、かぐや姫は、月が趣深く出ているのを見て、いつもよりも思いにふけっている様子である。

「どうして月を見ないではいられましょうか」

月の出るころになってしまうと、やはり時々はため息をつき、泣きなどする。

「打ち明けてしまうのです。私の身は、月の都の人です。それを前世の因縁があったことによって、この世界に参上したのです。今は帰るべき時になってしまいました。」

その後、翁と媼は血の涙を流して思い悩んだが

 

古事記 倭建命と美夜受比賣

 

比佐迦多能ヒサカタノ 仰ぎ見る

阿米能迦具夜麻アメノカグヤマ 天香久山

須蘇爾都紀多知邇祁理スソに月タチニケリ 裾に月経の血が付いていますよ

 

多迦比迦流タカヒカル 高光る

比能美古ヒノミコ 日のような御子

阿良多麻能アラタマノ 新しい

登斯賀岐布禮婆トシガキフレバ 年が来て過ぎれば

阿良多麻能アラタマノ 新しい

都紀波岐閇由久ツキガキフレバ 月が来て過ぎれば

 

裾に付いた月を、月経の血と訳すのは上手いなと思うのですが、その血の意味が翁と媼が流した血の涙だとしたら、二重の計算というか。とにかく古事記の計算力は恐ろしいのです。

 

 

中国にはこんな伝説もあります。(これも百濟の伝説である可能性がある)

月の別名 玉兎ギョクト

西王母の召使いのウサギが月で杵とうすを使って不老不死の薬草をついている。

 

日本の満月の別名、望月から餅つきに変わったともされている伝説です。

 

日本にはうさぎが炎の中に飛び込み、帝釈天が、うさぎの慈悲深い行動をすべての生き物に見せるため、その姿を月の中に映した。という物語もありますね。

 

古事記ではウサギを助けたあと、二回死んだ大國主神が炎に囲まれるシーンがあります。

御祖命(結婚した八上比賣ヤガミヒメの別名。その証明は別で。)が赤貝姫と蛤貝姫ハマグリヒメとを遣つて生き返らせ、麗しき男となるのです。

少名毘古那神(一寸法師)の打ち出の小槌も含め、それらこそが不老不死の薬であり、姿を変えたかぐや姫が大國主神を不死にして大物主とさせ、1,000年以上の長い年月(根堅州國)へ行かせた。こんな設定があったのだとしたら非常に面白いなと思うのです。

 

 

別の見方をしてみましょう。

 

この記事に書いてきた

竹から生まれた、なよ竹のかぐや姫

禊で生まれた、天照大御神

倉から生まれた、布都御魂

赤玉が変化した、阿加流比賣神

海神の娘、豐玉毘賣

にはある共通点があります。それは、両親と呼べるものがない。という点。(天照大御神は伊邪那岐単体から生まれる)(かぐや姫とアカルヒメとトヨタマヒメは夫(帝)の元を去るという共通点も。そう考えるとアカルヒメの夫アメノヒボコが浦島太郎。)

 

次に古事記の家系図。第11代天皇 伊久米伊理毘古伊佐知命(垂仁天皇)と結婚した迦具夜比賣命(母なし)。彼女の父らは

木垂根王・讚岐垂根王と述べられており、竹取物語の竹取の翁の下りに「筒の中が光っている」「名を讃岐の造といった」などと描かれることからも、この迦具夜比賣命は、なよ竹のかぐや姫ではないかと言われています。(大筒木垂根王・讚岐垂根王らの父が比古由牟須美王で、その母が野比賣)

この反論として言われるのが、迦具夜比賣命は帝と結婚して子供を産むが、なよ竹のかぐや姫は帝と結婚していない点。

 

実はすべて正解となります。

垂仁天皇と結婚した迦具夜比賣命とは、月に帰ってからのなよ竹のかぐや姫。つまりその後です。ここまで読んで下さっている方ならば、分かると思います。なよ竹のかぐや姫が帰った月の国とは、日本のこと。そして彼女は、ある意味、時空を超えて好きな帝と結婚出来たとしている。竹取物語とは古事記を含めてのハッピーエンドなのです。

 

伊勢神宮を祀ったのは垂仁天皇26年となっております。それは紀元前4年。何の年かと言いますと、キリスト誕生年です。

伊勢神宮の創祀、つまり天照大御神の日本での誕生をキリスト誕生に合わせているのです。キリストも両親から生まれていないですよね。

もっと言い換えると、岩屋から出て来た天照大御神とは、日本で復活したキリスト。もしくは、日本に誕生したキリストとなる訳です。

岩屋に閉じこもるまでが、なよ竹のかぐや姫。

 

岩屋から出た天照大御神とは月の国の太陽。

となるのです。

そして彼女は、天の羽衣を着ている。

 

竹取物語

帝はその山頂でするべき方法をお教えになる。お手紙と不死の薬の壷を並べて、火をつけてもやすようにということをお命じになる。

その山を「富士の山」と名づけたのである。その煙は、いまだに雲の中へ立ち昇ると言い伝えている。

 

古事記

伊豆志袁登賣神イヅシヲトメとの花。おそらくこれだと思われます。そうであれば、不死の薬とは十戒(伊豆志八前大神 → 十種の瑞寶)。

 

イヅシ河の河島の節のある竹を取つて

大きな目の荒い籠を作り

その河の石を取つて

鹽にまぜて

竹の葉に包んで

 

竹取物語

そうこうしていると、見知らぬ男どもが六人連れ立って庭に現れた。『お手当てを未だに頂いていません。』

鍛冶細工師六人は褒美を得たかいもなく、車持の皇子がみな奪い取って捨てさせてしまわれたので、逃げ失せてしまった。

このことを「たまさかる」とは言い始めたのである。

 

古事記

そこで垂仁天皇は非常に殘念がつて玉を作つた人たちをお憎しみになつて、その領地を皆お奪りになりました。それでことわざに、「ところを得ない玉作りだ」というのです。

 

竹取物語

髪を結い上げる儀式を整え、裳を着せた。

 

古事記 岩屋戸前の天照大御神

わたしの國を奪おうと思つておられるのかも知れない」
と仰せられて、髮をお解きになり、

 

垂仁天皇の別の結婚相手、沙本毘賣命サホヒメ(佐波遲比賣命サハジヒメ)にも触れておきます。

寝ている夫をどうしても殺すことが出来ず、愛しい子供を託して炎の中に消えたサホヒメは、雪女でもあるのですが、浦島太郎も兼ねています。錦色の小蛇を亀・天皇の御子を玉手箱として見て下さい。部分だけ切り取って示します。

 

垂仁天皇

「錦色の小蛇がわたしの頸に纏いついた。」

稻の城を作つて待つて

またお愛し遊ばされていることがもう三年も經つていたので、

「もしこの御子をば天皇の御子と思しめすならばお育て遊ばせ」

またその皇后に「あなたの結び堅めた衣の紐は誰が解くべきであるか」

「兄姫エヒメ・弟姫オトヒメ」

 

さて、今回の記事で浮上した

アメノヒボコは浦島太郎という視点で

彼の家系図と行動を見てみましょう。

 

賤夫が手に入れて腰に付けていた赤玉(亀)を

譲り受ける。お前は牛を殺して食うつもりだろうとして。

赤玉は美しい娘アカルヒメとなってアメノヒボコの前に姿を現す。二人は結婚する。

アカルヒメは常に種種の珍味を夫に与える。

アカルヒメは夫の元を去る(浦島太郎は乙姫の元を去る)

アメノヒボコはアカルヒメを追って多遲摩の國に船を泊める。アメノヒボコの家系図に神功皇后が現れる。

アメノヒボコは十種の瑞寶(十戒・不死の薬)を持参する。

浦島太郎は不死の薬で鶴となって蓬莱の山へ飛ぶ。

鶴の寿命は千年である。

蓬莱の山とは紀州(龍神村。熊野。吉野。高野山。大峯山などあの辺の山全部。多分空海は知っている。)

 

 

ここまで来れば、古事記のここが理解出来ると思います。

 

また垂仁天皇、名は多遲摩毛理タヂマモリを、常世の國(百濟國)に遣して、

登岐士玖能迦玖能木實トキジクノカクノコノミ

時じくの香ぐの木の實を求めさせなさいました。

依つてタヂマモリが遂にその國に到つてその木の実を採つて、蔓の形になつているもの八本、矛の形になつているもの八本を持つて參りましたところ、天皇はすでにお隱れになつておりました。そこでタヂマモリは蔓四本、矛四本を分けて皇后樣に獻り、蔓四本矛四本を天皇の御陵のほとりに獻つて、それを捧げて叫び泣いて、「常世の國の時じくの香かぐの木の實を持つて參上致しました」と申して、遂に叫び死にました。その時じくの香の木の實というのは、今のタチバナのことです。

 

ごめんなさい。書き出してみたけど分からないですね。常世の国(百濟國)にはその実はないよ。ということなのか。

 

これで私の記事の初級中級上級も含め

 

素手のタケミカヅチと素手のタケミナカタが戦った場所は蓬莱山

素手の白い猪(タケミカヅチ)と素手の大きな熊(ヤマトタケル)が戦ったイブキ山も蓬莱山

タケミカヅチの降ろしたフツノミタマも蓬莱山

須佐之男命・大國主神・建御名方神の複合体として描かれるヤマトタケルが白鳥になって飛んで行った先も蓬莱山

兄の手足を折って包んで投げ捨てた後、オトタチバナヒメの入水により、渡れなかった海を渡ったヤマトタケルも浦島太郎。

 

ここまで来ると誰も信じないでしょうね。

これらの観点からもう一度須佐之男命系列を見てみましょう

 

伊邪那岐は須佐之男命に言う

「海上を治めなさい」

須佐之男命は母に会いたいと泣く

須佐之男命は天照大御神のお召しになる服(天の羽衣)を作っている機織女の邪魔をする(狩人は天の羽衣を隠す)

大國主神は浜でウサギ(亀)を助ける

豊玉姫は「私の出産する姿を絶対に見てはいけません」(乙姫は「この箱を絶対に開けてはいけません」)

倭建命は尾津の埼の一本松のもとに辿り着く(浦島太郎は一本松の木陰で呆然とする)
 

以上です。

以下は決定打なし。

 

石上麻呂足 石上神宮 鎮魂祭 宇気槽

 

竹取物語

「なよ竹のかぐや姫」と名づけた。この三日の間、酒盛りをして楽しんだ。詩歌や舞などいろいろな遊びを催した。男という男はだれかれ構わず呼び集めてたいそう盛大に楽しんだ。

 

竹取物語

誰も彼もが夜も寝ず、闇夜に穴を開け、覗き見、心を乱していた。

辺りを離れようとしない貴公子たちの中には、夜を明かしながら過ごす者が多かった。

 

竹取物語

その人たちの名は、石作の皇子・車持の皇子・右大臣の阿部御主人・大納言の大伴御行・中納言の石上麻呂足

 

竹取物語

五人は家に帰っても、かぐや姫のことばかりを思い、神仏に祈願をするが、思いは募るばかりだった。

 

竹取物語

日が暮れるころ、例のごとく五人の貴公子たちが集まった。ある人は笛を吹き、ある人は歌をうたい、ある人は唱歌をし、ある人は口笛を吹き、扇を鳴らして拍子をとったりなどしている