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5月10日

 

アメリカ横断したことによって僕の世界一周は終わりとなった。

あとは帰国するのみではあったが時差調整と最初の国だったフィリピンをもう一度見たいと思って最後にセブ島に行くことにした。

1年前セブ島で語学留学した。学校は海からは遠いセブ市の中にあった。そして今回泊まった宿はそんな学校からすぐのところだった。

海に行かないセブは単なる東南アジアの一都市でしかなく蒸し暑く、道路には車やバイクがごみごみとしていて、道端にはごみがあふれていて、屋台からでる肉を焼く煙で充満しているような場所だった。

 

そんなセブでは何もせずに過ごした。本当に何もしなかった。ゆっくり休んでジョリビーでご飯食べて昼寝して。さすがに最後の数日リゾートホテルで遊んだがそれ以外は宿でのんびりしていた。

 

そしてとうとう帰国の日をむかえる。

飛行機に乗っても日本に帰るというよりはまた次の国に行くような感じがしてならなかった。

成田空港について入国審査もパス、人の話では入国審査の時に

 おかえりなさい

って言われると聞いていたが僕の担当の人は新人研修中でそこまで気が回らなかったのかいっぱいいっぱいだったのかなんの会話もなく入国したためここでも日本という感覚はなかった。

 

 

 

 

当然看板には日本語にあふれていて日本人も多いが雰囲気的にはまだ日本人が多い国に来たという感じ。

 

 

 

 

そして帰国して最初に食べたのが吉野家の牛丼、汁だく、生卵。

素朴な、何の贅沢でもないご飯。そんなのが食べたかった。

 

 

 

 

コンビニで彼女さんはハッピーターンを買い…

 

 

 

 

僕はおにぎりと缶コーヒーを買った。

 

 

 

 

電車に乗って上野に近づくとビルが多くなってきた。日本らしいコンクリートジャングル、狭い土地にひしめき合うように並ぶ2階建ての家々やマンション、アパート。ようやく日本に帰ってきたんだと実感した。

 

 

 

 

長くなった髪を切ると1年前の僕がそこにいた。

 

 

 

 

何もかもが1年前と大して変わらない状態に戻った。テレビでは1年前と同じような人達がでていて同じような番組をやっている。街に出ればどこにでもコンビニはあってなんでも買うことが出来る。

 

僕は本当に世界一周なんてしていたのか?

あまりにも1年前と変化がなくそんな疑問が生まれてきた。

 

 


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