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5月1日
同時期に旅を始めた旅人たち、途中で知り合った旅人たちの帰国の報が多くなってきた4月。いよいよ最後の大陸となるアメリカに上陸した。目的はアメリカ横断するため。
子供のころよく見ていたアメリカ大陸横断クイズ、それでは西海岸から東海岸に、つまり最終目的地はニューヨークだった。
しかし僕が選んだのはその逆方向、ニューヨークからサンフランシスコだった。なぜこのルートにしたのか。
深い意味はない。簡単に言えば日本から遠い所から近い方へ、つまり日本に向けて旅をしたかったからだ。
もう旅も残りわずか。日本に向かうことを意識したアメリカ旅の始まりだった。
初めて足を踏み入れたニューヨーク、雪が出迎えてくれた。いままで夏を追いかけるように旅していた僕には久しぶりの雪だった。
自由の女神と摩天楼。人間が作った最高傑作の都市が目の前に広がっていた。
そして旅の手段としてキャンピングカーを借りた。ここまででかいサイズの車を運転するのは初めてだった。
デカすぎるサイズ、風でハンドルも取られる。緊張続きのドライブだった。
初めのころはどう観光していいのかわからず車窓からの観光となったワシントンDC。桜も咲いていて日本の景色を思い出させた。
進路を北に向けるとまた雪景色が広がっていた。
そしてたどり着いたナイアガラの滝。これで世界三大瀑布もクリアできた。
アメリカを縦断する形で南下する。数日しかたってないのに雪景色は消え暖かな気候へと変化していく。
そして常夏のフロリダ。
定番のディズニーランド。ここでは旅を忘れ純粋に楽しむことが出来た。
夕日の中セブンマイルズブリッジを走る。暗くなる前に運転を終えたくて必死に目的地へ向かっていた。
昼のセブンマイルブリッジ。もっとのんびりと走りたかったが高速でありそれも出来ず。そういえば僕がアメリカで見た景色はほとんど車窓越しだった。
アメリカでの運転は本当に苦労した。様々に変わる天候、基本ほとんどの道路が高速道、強い風にハンドルも取られる。ほとんど真正面しか見ることが出来ず、ナビもみる事が出来ないほど追い込まれていた。
それでも旅が出来たのは彼女さんがいろいろしてくれたからだった。
運転中はナビもしてくれた。
運転後は料理もしてくれた。
時にはガソリンも入れてくれた。
一人ではこの旅続けることが出来なかっただろう。
アメリカのノスタルジー、ルート66。本当はもっと違う場所でも見たかったが見れたのはここだけ。
男の子だったら皆よく見ていたUFO特集などで出てくるロズウェル。ここには謎や神秘の世界はなくアメリカらしい陽気な町おこししかなかった。
世界でここだけしかない白の景色、ホワイトサンズ。雪のように見えるが雪ではなく石膏の砂。
木の化石を見ることが出来るペトリファアイドフォレスト。
アリゾナ大隕石孔。
本当アメリカの景色には圧倒される。
中でも一番の景色はここだった。グランドキャニオン。どこまでも続く壮大な景色。
単なる絶景という言葉では表せない景色。
モニュメントバレーも壮大だった。日本ではありえないほどの規模。
アメリカというのはなんとデカい国だろう。単に国土だけではなく景色の規模もデカすぎる。
水に削られてできたアンテロープキャニオン。
自然の作り出した道といえるもの、川。そんな川の力というものは想像以上だった。
世界一見るのが難しい絶景を見ることもできた。僕ら二人であればもうなんだって出来る。どんなことも乗り越えられる。
砂漠の真ん中に作られた人間の夢を詰め込んだ街、ラスベガス。
夢うつつの世界。自然に対抗するように夜でも眠ることはない。
そして1か月かけてたどり着いたサンフランシスコ。
太平洋に面した街。
あの海の向こうには日本がある。
この1か月、様々なことを考えさせられた。
その中でも一番思ったこと、人間が作った最高の絶景ってなんだろうという思い。きれいな教会?それともそびえたつビル群か?
レンタカー旅で思った答え、それは道なんじゃないか?
どこまでも果てしない大地に伸びる一本の道。この景色に何度感動させられただろうか。
きっと単なる道という構造物ってだけでなくその先にあるものまで想像することができるからなのだろうか。
さらに言えば人生につながるものも考えさせられるからだろうか。
そんな人間が作り出した最高の絶景にはこんな言葉がよく似合う。
この道を行けばどうなるものか
危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし
踏み出せばその一足が道となり その一足が道となる
迷わず行けよ 行けばわかるさ
一休宗純の言葉より