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10月3日

 

とうとうアウシュビッツ強制収容所に行く日がやってきた。

この日のためにクラクフに1週間いたことになる。

ただ決して楽しみとかではなかった。

好き好んで見たいわけじゃない。知りたいわけじゃない。

楽しいことだけでいいじゃん。

でも知らなければいけないと思った。

これは旅に出る前からここには来ようと決めていた。

結果としてすごくいい経験をした。

ただ不安になることもあった。

その点に関しては最後に話したいと思う。

そしてみんなも考えてほしい。

 

アウシュビッツ強制収容所は正確にはアウシュビッツ、ビルケナウ強制収容所という。

当初はアウシュビッツ第一強制収容所だけであったが増加する収容者に対応するためビルケナウ強制収容所も作られたそうだ。

 

 

 

 

 

 

幸いにして日本人ガイドにお願いすることが出来てガイドさんと他の日本人とツアーで博物館に入った。総勢22名だった。

まずはアウシュビッツ第一強制収容所から。

早速有名なものが出てきた。

「働けば自由になる」

実際に自由になった人はいない。

 

 

 

 

 

 

収容所の周りは高圧電流が流された鉄条網によっておおわれていた。

 

 

 

 

 

 

収容棟。多数の収容棟が並んでいる。

 

 

 

 

 

 

ガイドさん。

 

 

 

 

 

 

アウシュビッツ第一強制収容所の収容棟の中には様々な展示があった。

収容所に向かう人々。心なしか表情も暗い。

 

 

 

 

 

 

ビルケナウ強制収容所に着く電車。そしてそこから歩く収容者たち。

 

 

 

 

 

 

このように貨車にぎゅうぎゅうに詰められて輸送されてきた。

収容所にたどり着く前に亡くなった人も少なくなかったそうだ。

 

 

 

 

 

 

収容所について最初に行われる事。

働けるかどうかの選別。

働けないもの(子供や障害者など)はそのままガス室に送られた。多いときは70~80%ぐらいの人がこの段階でガス室に送られたそうだ。

 

 

 

 

 

 

ガス室へ向かう人たち。

もちろんガス室に行けなんて言われない。シャワーを浴びれるといわれて連れていかれたのだ。

 

 

 

 

 

 

これが使われたガス、チクロンB。本来であればノミ、シラミ、腸チフスなど害虫駆除のために使われるもの。

即効性の毒ではないため20分にわたり苦しみながら死んでいったそうだ。

 

 

 

 

 

 

収容者は物を持つことを許されなかった。

個人のものはどんなものでも取り上げられた。

眼鏡も

 

 

 

 

 

 

カバンも

 

 

 

 

 

 

コップなどの日用品も

 

 

 

 

 

 

靴も。この部屋一面におびただしい数の靴が積み上げられていた。

 

 

 

 

 

 

中には子供用の靴もあった。

 

 

 

 

 

 

この日はあいにくの雨模様だった。

 

 

 

 

 

 

当時の収容者はこのようにわらを敷いて寝かされていた。

 

 

 

 

 

 

トイレ。この当時水洗トイレがあることのほうが珍しい。当時のドイツの文化レベルの高さがわかる。

 

 

 

 

 

 

死の壁。この壁で多くの収容者が銃殺された。

 

 

 

 

 

 

アウシュビッツ第一強制収容所に残されたガス室。

 

 

 

 

 

 

ガス室の内部。

 

 

 

 

 

 

ガス室で亡くなった人はここの焼却炉で燃やされる。

ガスを投入するのも遺体を燃やすもの同じ囚人たちの仕事だ。そんな仕事をする人たちをゾンダーコマンド、特別労働員といい他の収容者より対応はよかったそうだ。しかし定期的に口封じのため彼らも処刑される運命にあった。

これらの対応によりナチスは直接手を下すことなく収容者を処刑できた。また収容所内では格差が生じるとこにより一致団結することが出来ず反乱を起こすこともなかったそうだ。

 

 

 

 

 

 

アウシュビッツ第一強制収容所をあとにし今度はビルケナウ強制収容所に向かう。

第一印象はだだっ広いだった。それだけ広大な施設が広がっていた。

ここには多い時で9万人ぐらいの収容者がいたそうだ。

 

 

 

 

 

 

あの鉄道を使いヨーロッパ各地から収容者が運ばれてきた。

 

 

 

 

 

 

恐ろしく長い線路。

 

 

 

 

 

 

当時の貨車が残されていた。

 

 

 

 

 

 

ここでも鉄条網により収容所が囲まれている。

 

 

 

 

 

 

ビルケナウのガス室。敗戦が近くなり証拠隠滅のためドイツ軍が破壊したそうだ。

 

 

 

 

 

 

このガス室で多いときは1日で9000人以上が殺されている。

 

 

 

 

 

 

追悼碑に集まる人たち。彼らはユダヤ人だそうだ。

 

 

 

 

 

 

初期に建てられた収容所。なぜ初期とわかるかというと建設が始まったときは冬が近くなってきたため木材を切り出すことが出来なくなりレンガを使用したそうだ。

 

 

 

 

 

 

冬も終わり木造で収容所が作られた。しかし戦後の物資不足で木造の収容棟は一部を除き解体されている。

 

 

 

 

 

 

収容棟に集まる人たち。彼らもユダヤ人だ。

 

 

 

 

 

 

一部残る木造の収容棟。収容棟の前は平面の道が続いているが水はけが悪いのか水たまりが出来ている。

 

 

 

 

 

 

しかし当時の収容者が作ったこの道は表面は凸凹しているが水はけもよくできている。これも当時のドイツのレベルの高さによるものである。

 

 

 

 

 

 

収容棟内。木造のベットが三段並んでいる。このベット一つに2~5人の収容者が一緒になって寝かされていた。

そして冬になると-20度にもなるこの地方、収容棟はお世辞にも暖房設備がいいとは言えない作りで冬の寒さのせいで亡くなる人も多かった。

 

 

 

 

 

 

トイレ。1日2回のみの使用が許された。

トイレと言っても穴が開いているだけ。

ただ皮肉なことにここが一番の安全な場所だったそうだ。

伝染病を避けるためナチスはここには近寄らなかったらしい。

そのため小さな子供をこの穴の中に隠すようなこともなったそうだ。

 

 

 

 

 

 

すべてをみて思ったこと。ただただつらい。こんな事実があったこともそうだしこれを受け止めなければいけないこともつらい。もし自分が当時に生きていた場合看守側でもつらいだろうし当然収容者でもつらかっただろう。

 

ガイドさんの話はすごくわかりやすくいろいろなことを教えてくれた。歴史的な流れについても話してくれた。

 

収容者のほとんどはユダヤ人であった。この大量虐殺により実にユダヤ人の70%ぐらいの方が亡くなったそうだ。

 

なぜユダヤ人がこんなにも迫害されたのか。

 

ものすごくシンプルに言うとユダヤ人は歴史の中の難民なんだそうだ。

安住の地を追い出されヨーロッパ中に散らばったユダヤ人。彼らの多くが当時身分の低い証人として働いていた。

 

しかし第一次世界大戦にドイツは負け賠償金を払わなくてはいけなくなった。そこに世界大恐慌が重なり経済は破綻寸前まで行った。

 

だれの責任か。となったときに標的にされたのがユダヤ人だった。

 

ドイツを守るためにユダヤ人を追い出せ。ということで強制収容所に送られることになったがだんだんと収容者が多くなり収容所が足りなくなってきたためガス室で虐殺するようになったのだ。

 

そんな歴史的な流れがわかったうえでガイドさんが話した非常に考えさせられる話を紹介したい。

 

この大虐殺の責任はだれにあると思いますか?

ナチス兵ですか?彼らは命令で動いていただけです。

じゃあ軍の上層部ですか?彼らも法律やヒットラーに従っただけです。

法律を作った政治家ですか?ヒットラーですか?その政治家やヒットラーを選挙で選んだのは国民です。

 

皆さんはだれに責任があると思いますか?

法律ももともとはおそらく一般市民のちいさな声から始まりました。

あの人が嫌い、あの人種が嫌い、あの難民が嫌い。

そんな小さなヘイトスピーチがやがて大きくなり国を動かすのです。

 

当時のドイツは決して文化レベルの低い国ではありません。むしろ世界的に見ても高レベルな国です。

 

これからの世の中、難民問題などグローバルな問題が増えてきます。

日本だって例外ではないです。

もし朝鮮半島で戦争が起こったら?

多くの難民が日本にやってくるかもしれません。

そんな時皆さんは彼らを迎え入れることが出来ますか?

それとも突き放しますか?

 

アウシュビッツ、ビルケナウ強制収容所で起こったことは過去のことです。

しかし現在に通じる問題も含んでいるのです。

 

 

 


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