桐野夏生
東電女性社員殺人事件をモチーフにしたフィクションの下巻。
美醜にこだわる語り手の「わたし」。彼女のこだわりは美醜だけでなく、経済的豊かさ、頭の良さ、そして普通の幸せへの執着があることが下巻にて明らかになる。
上巻で彼女に感じた違和感は下巻で解かれていく。
「いいえ、わたしは決して嫉妬しているわけではありません」
その言葉の後のページではっきりと自分の劣等感を明らかにし、そういうものへの憧れに蓋をしてきたと述べられている。
そして、最後まで徹底的に救われない。
・成績
・性格
・経済的基盤
・容貌
Q女子高校のヒエラルキーの中でもがく和恵の姿に共感性羞恥を覚える。彼女は必死。
誰かより劣らないように。
信じているものを手放さないように。
自分が何者なのか見失わないように。
そして、自分ではどうしようもできない男性社会の中での在り方。
男性という性に阻まれる努力ではどうしようもない領域。
かといって女性という自身の性を今更どう扱って良いかわからない自分自身。
少なくともわたしには覚えがあるから読んでいて苦しくなる一方、物語に優しく寄り添われている気がして、読み終わった後にはもやもやが昇華していくような気持ちをもった。
東電女性社員殺人事件について検索していると、
「エリートといっても沢山いる訳だから中には変なのもいるんだよ。」
という、某知○袋の中のコメントが目についた。
この人は男性かな。
女性はこの事件に自分を重ねる経験をもつのではないだろうか。
もはや、女性のコメントか、男性のコメントか、などとくくる時点で時代錯誤なのかもしれないが、敢えて書いた。
わたしもこの事件の被害者、そしてグロテスクの登場人物たちと同世代だ。
この話は、今の若い子の共感も生むと感じる。
中年になりかけ、閉経を目前に、自分とは何かと思うことがある。
わたしはわたしで、わたしの生き方が正しいのだと胸を張り、人が他人の人生を評価することがナンセンスだと心では信じている。
それでも人の評価を気にせずにはいられないのが正直なところだ。