金田一秀穂
この本は本当に好きな本。
簡単なのだけれど、だからこそ全て頭に叩き込んで自分の言葉に落とし込み、人に伝えたい内容。
また、金田一先生がこの本で伝える内容を実践して、仰ることを実感したいと思わせる内容。
想像するだけで豊かだ。
私たちの用いる「言葉」とりわけ「日本語」についてだが、内容としては「言葉で理解すること」とはどういう意味をもち、意義があるのか、またその力をどうつけるかだ。
ホモサピエンスは言葉を得たことで力を得てきたという。知識を言葉で後世に伝えられるため、知識を蓄えることができる。そして、その仮説は性善説のもとに成り立つという。
わたしたちは「言葉」で考え、「言葉」で感じているから、言葉を豊かにすることは自分の世界を豊かにすることにつながると思う。
一方で、言葉がないから豊かでは無いというわけではない。言葉があるから優れていると言うわけではない。この本もそんなことは書いていない。金田一先生は日本語学者だから、言葉が大事だと立場上言っているだけだ。
少し脱線するが、わたしはよく、障害などによって発語の無い方々が、どのように世界を認識しているのだろう?私たちであれば、空想したり「お腹すいた、、、アイス食べたい」などと考えていたりするような時間に、どんなふうに頭の中に物事が浮かんでいるのだろう?と思うことがある。言葉がない分、空気の清々しさやお日様の温かさなど、感覚的なものを受け止める力が高いかもしれないな、などとも思う。文学者ではないわたしのようなものが、わざわざそれを言葉にしてしまいがちだがそれは言葉に落とし込んだ時点でナンセンスな気までする。
同じものを見ていても、それをどう言葉で表現するかによって、そのものに対する考え方、感じ方がまるで違ってしまうということは言葉の怖い点であると思う。
もっている言語が違えばわかりあうことが難しくなり、同じ家族でも「そんなつもりで言ったわけではない」という分かり合えなさは誰でも経験していると思う。
言葉にしたってそうなのだから、何も言わずにわかりなあなんて言わずもがな無理だと思った。
無駄話を交わすことにより、人と人はつながることができるという。一見どうでもいいような話をしているのは、相手との関係を確かめ合い、もっと関係を強めていきたいからということだそうだ。議論しなくて良い人がいると言うのは幸せなことだし、無駄話をしない相手はそれだけ相手からしたら自分はどうでもいい存在だと言うことだろうか。そうかもしれない。
野口英世の母がアメリカから帰らない息子に宛てた手紙もあり、これは泣ける。
野口英世のバカ!と言いたくなる笑
帰ってあげて!お母さんに顔見せてあげて!!ってなる。
最後、「暗黙知」について。誰かにちゃんとおしえられたわけではないけれど、人の真似をしたり、自分でやっているうちに、いつの間にかできるようになった事柄をいう。
これを言葉で説明できるような努力をすることは、教育者や指導者に求められる力だと、わたしは思う。
例えば、体育の先生が運動が得意な子を伸ばすことは容易だろう。
体育の先生は、運動が苦手な子の力を伸ばさなければならないと思う。それは、
「パーッとやって、しゃーー!だっ!!簡単だからやってごらん!失敗してもいいから!挑戦だ!できるできる!」
だはだめで、
「足はこう。角度は30-42度。指の力はうずらの卵が潰れないくらいで、5秒待ったら10.7cm動かす」
みたいな説明ができる必要があると思う。わたしは体育が苦手で嫌いだったから本当に強くそう思う。どの教科でも同じだとは思うが。分野か。
金田一先生のこの本を読むと気持ちが引き締まるんだよなぁ。
児童書なので読みやすいので、ぜひ多くの方に、手に取って読んでほしいと思う。