意識するしないに関わらず、節目はやってくるものなのだろうか。

だからこそ節目になりうるのだろうか。

10年という数字は特別感がある。


12年前に最愛の夫が脳炎に倒れた。


意識障害は日に日に顕著となり、

入院2日目には自分の名前も言えなかった。

ただ、数日間は私の名前を呼び、

手を伸ばしてくれた。


結局のところ原因は分からない。

自己免疫性脳炎なんて、後からつけられた名前だ。

ただの名前。

でも、ここに全てを賭けてもいた。

病名すらつかなかったら、正気でいられなかった。


彼が亡くなって10年が経とうとしている。

娘も12歳になった。

娘は父親を知らない。


それでも、彼女は快活で優しく、賢く、好奇心旺盛で彼に似た美しい娘に育っている。


なにより、娘の、誰からも好かれ、誰とでも仲良くできる「群れず集わずされど離れず」という秋風のような爽やかな性格は父親譲りだと確信してる。


わたしは彼女の中に彼を見つける。



あのときは毎日死にたかったけれど、

今は思わない。


急性期の病院での暗く冷たい記憶。

今でも秋になれば、またふいに思い出せば私を暗い気持ちにさせるけど、

乗り越えて今日を迎えている。


幸せでちょうどいい人生を歩んでいる。

生きている自分に感謝する。

なにより私を生かしてくれた家族、友人、仕事、

そして当時のアメブロの読者の皆様には一人ひとり

感謝を申し上げたい。


数多あるブログの中に紛れてしまうこのブログだが

当時の読者の皆様に再び会えたらと願う。

あの時は本当に自分自身が子供だった。

今ならきちんと感謝し、受け止められる。

今度は私が誰かの力になりたいと強く願う。