先日、是枝裕和監督の「怪物」を鑑賞してきました。

その感想を書こうか迷っていたのですが、一人で鑑賞してきたので感じたことを残したいと思い書いています。

一個人の感想なので、ご了承ください。


まず、素晴らしい作品だったと思います。

鑑賞後は、しばらく余韻で胸が苦しかったです。


事前情報無しで鑑賞したので、最後のシーンで「あっ、そういうことか」と驚きました。


最初は湊くんがいじめを受け、それを助けようとする母親の話かなと漠然と見ていたのですが、

どうも湊くんの反応に違和感を感じる部分がありました。

ただ、母親というのは子供を信じる存在なので、息子がようやく話してくれたことを疑わないのはすごく自然に描かれていた気がします。

第三者目線としては、教師による生徒への暴言・暴力が真実だとすると、あまりにも学校側の対応が不自然だと感じました。


その不自然な対応は先生目線の描写になったときに納得しました。

学校側は教師による生徒への暴言・暴力はなかったと分かりながらも形式的に謝罪していたと。

このようなことは現実でも起こっているような気がします。

相手を落ち着かせる、納得させるために謝罪をすることは。


個人的には永山瑛太さん演じる教師役が絶妙に不気味な笑顔だったので、永山瑛太さんの演技力に感動しておりました。

そして先生は学校を追いだされてしまう。とても理不尽なことだと思いましたが、これも現実でも起こっている問題のような気がしました。


ただ、この問題の裏には子供2人にはあまりにも大きすぎる問題が隠れていました。

湊くん依里くんの関係は、最初は良好な友人関係だと見ていました。

しかし、教室内では依里くんは男子よりも女子と仲良くでき、男子からは軽いいじめの標的になっていたからこそ、

教室内では話せず、学校外では良好という思春期に良くある関係性だと感じていました。


徐々に2人の関係性が変化してきたのは、秘密基地で遊び始めてからかなという印象です。

そして、最終的には依里くんが引っ越してしまうかもとわかってからが湊くんが自分の気持ちに気づいたのだと感じました。

母親が湊くんに「普通に結婚して、子供産んで、幸せに」というような言葉を投げかけたシーンがありましたが、

そこから少しずつ違和感を感じていたのかもしれません。


依里くんは既に自分がLGBTだと自認しているが、父親からはそれを否定されている。

湊くんは自分がLGBTだとまだまだ受け入れることが出来ずに戸惑っている。


このように思春期とLGBTの自認はすごく難しいように感じました。

今でこそLGBTは良く聞く言葉になり、昔よりは偏見や差別が減ってきたと思います。

それでもまだまだ当たり前にはなっていないと思います。

だからこそ、自分がLGBTかもと思った時に戸惑っているというのは当たり前の反応だと感じました。


もっともっと周りの大人がLGBTは周りと違うということではなく、

それも当たり前の一つであることを教えていかなければいけない気がしました。

LGBTが特別なわけではなく、異性愛者の人のように、LGBTの人も当たり前にいるということを伝えていく必要があるのではないでしょうか。

私たちは誰しも人に「当たり前」を押し付けてしまうことがあります。

湊くんの母親のように「普通に結婚して」という普通のように。

でもその言葉で傷つく人がいるかもしれない、そんなことを考えながら言葉を選んで話すことはとても苦しい気がします。

だからこそ相手と向き合って相手のことを知ろうとする努力が必要となってくる気がします。


さて、最後にこの映画のタイトルは「怪物」ですが、では誰が一体「怪物」だったのだろうかと考えてみました。

私はこの映画は全体的に“愛“が詰まっていた気がしました。

なので“愛“があると誰でも怪物になるかもしれないと伝えているのかなと勝手に考えていました。

怪物というのは愛のために必死に行動して周りが見えなくなってしまうことを指しているのではないかと思いました。

湊くんの母親がモンスターペアレントと見えるように…。依里くんの父親が必死に息子を普通に戻そうとしているように…。


まだまだ書きたいことはありましたが、この辺にしておきます。

あくまで一個人の感想なのでご了承ください。

では、また映画を鑑賞した際には感想を書きたいと思います。