今日は春馬くんの三回忌。

お母様からのお知らせがありました。

築地本願寺。

いつでも春馬くんに会える場所が出来ました。

そういう場所が出来て良かったと思う反面、本当にいないんだなあという現実に複雑な気持ちも。

お辛い中、心を寄せて下さり本当にありがとうございます。

 

 

ファンの皆様、関係各位

いつも三浦春馬にたくさんの温かな想いをありがとうございます。
三回忌となる本日7月18日を迎えるにあたり、 お母様の「ファンの皆様が心を寄せることができる場所を用意したい」というご意向のもと、 先日、築地本願寺に納骨が行われましたことをご報告申し上げます。
お母様よりファンの皆様へのメッセージをお預かりしております。
 

 

いつも春馬のことを愛してくださりありがとうございます。
あの日から二年という月日が経ちました。
この間、多くのファンの皆様からの大きな愛を感じながら、春馬のそばで少しずつ前を向きながら過ごしてまいりました。
今まで、皆様に気持ちをお寄せいただける場所をご用意できなかったことを心苦しく思っておりました。
そして、三回忌となる7月18日を迎えるにあたり、事務所の方々にたくさん相談し、このたび築地本願寺に納骨させていただくことを決めました。これが皆様のことを何よりも大切に思っていた彼のために、今私ができることだと思っております。
これからはこの場所が、春馬を愛してくださる皆様にとって温かな場になることを心から願っています。
私自身、まだまだ不安定な気持ちの中で日々を過ごしております。
ファンの皆様の、春馬を想ってくださるお気持ちに励まされながらも、一方で、彼や彼が大切にしてきた仲間たちや作品を傷つける声に大変悲しく思っております。
心静かに故人を偲ぶことができるよう、重ねてのお願いにはなりますが、ご理解賜りますようお願い申し上げます。


 

いまだご遺族に対する一部週刊誌等メディアの執拗な取材行為や、デモ、集会などでの度を超えた言動に心を痛めております。
彼を大切に思う方々がこれ以上傷つくことがないよう、どうかご配慮いただきますようお願い申し上げます。

なお、築地本願寺へご参拝いただく場合は、本堂にお参りください。
あわせて、お花やお供物などの墓前へのお供えはお受けすることができないため、ご遠慮いただきますようお願い申し上げます。

皆様が心穏やかに三浦春馬を想っていただけるよう、心より願っております。

 

築地本願寺

築地本願寺(本堂・第二伝道会館) | 中央区 家族葬から社葬まで ...

 

 

 

楠見師匠

 

 

井田幸昌さん

 

 

ミュージカル界の大御所 市村 正親さんが春馬くんを褒めて下さったのもすごく嬉しかったのですが、現代ビジネス折田 駿さん「真のスター✨」記事も嬉しいです。いつもありがとうございます。

 

 

2022.07.18

# ドラマ# エンタメ# 映画

あれから2年…愛され続ける俳優・三浦春馬が、「真のスター」だと断言できる理由

いま、あらためて思い返す

 

折田 侑駿

文筆家

 

「代表作」を絞り切れない

俳優の三浦春馬さんがこの世を去ってから、早くも2年が経つ。いまなお彼の死を悼む声は絶えない。2020年7月、あの当時すでに社会は激動の時代のただなかにあったが、あれから誰もがさらにシビアな環境に追いやられている。

三浦さんが不在のこんな社会を生きていくのが辛くてどうしようもない人は多いことと思う。けれども彼の遺したものがあるからこそ、どうにか自分の足で立つことができている人もいるのではないだろうか。この2年という時を経て、改めて彼こそが「真のスター」だと思う気持ちが強くなっている。

俳優の三浦春馬さん[Photo by gettyimages]

子役としてキャリアをスタートさせた三浦さんは、人生の大部分を俳優として過ごした存在であり、つねに業界の最前線を走り続けられた数少ない存在だろう。さまざまなタイプの数多くの作品に主要な役どころで出演しており、彼の代表作/代表的なキャラクターというのを挙げ出したらきりがない。各年代ごとに、そのときの彼にしか成し得ない好演を残していて、それこそ“三浦春馬の代表作”というのはファンの方々それぞれによって変わってくるはず。

しかし、彼が20代後半に差しかかってから挑んだ作品は、誰しもの心に深く刻まれるものになっているのではないかと思う。これは何も、三浦さんがこの世を去ってしまってから公開・放送がされた作品だからというわけではもちろんない。純粋にこの頃にはもう、各作品内における俳優・三浦春馬の“心技体”が円熟の域へと達しているように感じたからである。幕末のカリスマ・五代友厚を演じた最後の主演作『天外者』(2020年)での姿はその最たるものだろう。

三浦さんが亡くなって以降に世に放たれた『コンフィデンスマンJP -プリンセス編-』『天外者』『ブレイブ -群青戦記-』や、ドラマ『太陽の子』とその劇場版である『映画 太陽の子』、遺作となったドラマ『おカネの切れ目が恋のはじまり』で各キャラクターを演じる彼の存在は確認してきたが、もうこの現実世界に三浦さん本人が存在しないという事実にはひどく胸を痛めた。

 

筆者の場合はその前年、三浦さんの代表作の一つとして圧倒的な支持を集めるブロードウェイミュージカル『キンキーブーツ』 の再演を目撃していたからなおのこと。俳優・三浦春馬の磨きのかかった“心技体”は、やはり舞台というリアルライブ空間でこそ真に体感できるものだろう。三浦さんと同じく1990年生まれである筆者は彼の存在をずっと特別視してきたが、彼がほかの同世代の表現者とは違ってどうしても特別視してしまう理由を、『キンキーブーツ』を通してようやく理解した。

どの作品にも高いプロ意識を持って臨み、筆舌に尽くしがたいパフォーマンスを実現させてきた彼だが、目の当たりにしたその一つひとつのパフォーマンスを含めて、無謀にも彼のすべてを語ろうとせずにはいられないのだ。そしてこのような状態になるのが筆者だけではないところに、三浦さんが「真のスター」である理由があるように思う。

ミュージカル『キンキーブーツ』の共演者たちと[Photo by gettyimages]

ファンの数だけ、三浦春馬がいる

筆者はこれまでに、三浦さんに関するいくつかの文章をさまざまなメディアに寄稿してきた。メディアが変われば原稿の切り口や執筆のアプローチを変えなければならず、結果的にいち個人として三浦さんに関する多くの言葉を得てきたと思う。しかし、言葉を尽くしても尽くしても、どうにも言葉が足りない。満足に語ることができない。彼の才能や魅力のほんの一端にしか触れることができていないのを実感している。

そして記事が世に放たれるごとに、多くの三浦春馬ファンである「春友」さんたちからの反応があった。いずれも、筆者が書いたものに対する肯定的な言葉ばかり。筆者自身が三浦さんに対してポジティブなイメージを持ち、嘘偽りのない尊敬の念を込めて書いているのだから、当然といえば当然だ。

ところがここで驚いたのが、文筆を生業としていない人々や、言語を扱うプロではない人々が、筆者などには絞り出すことのできない多くの言葉を持っていたことである。

 

俳優・三浦春馬のすごいところは、ファンの一人ひとりがそれぞれに、彼の魅力を語る“自分の言葉”をきちんと持っていることなのだと思う。筆者が執筆するメディアに合わせてアプローチを変えるように、彼を想う数多くのファンがそれぞれの視座からいまこの瞬間も自分の言葉をしたためている。つまりファンの数だけ、具体的な“三浦春馬像”があるのだ。

仕事で言葉を扱う者や映画・ドラマの目利きだけでなく、あくまでもいちファンの人々が“自分の言葉”を持つことができる存在こそが、「真のスター」なのではないだろうか。極端な例かもしれないが、松田優作や尾崎豊などがこれに当てはまるだろう。彼らは時代を超えて愛され続け、筆者のように生前の姿を知らない者にもその功績が語り継がれている。そして彼らのことは誰も語り尽くすことができない。「真のスター」とは、容易に語ることのできない存在なのである。

 

語ることは、愛すること

 

三浦さんの死を悼む声がいまも絶えないと冒頭に記したが、筆者も同じように、「もし、三浦春馬が生きていたならば……」と思うことばかりだ。それほどまでに彼の喪失は大きい。社会は人々に立ち直ることを求めるが、無理に立ち直る必要なんてない。悲しいなら悲しいと、苦しいなら苦しいと、素直に開き直るべきだと思う。

ただ、三浦さんが遺した作品とキャラクターはこれからも生き続ける。残された者にできるのは、生前の彼の姿を愛し、語り続けることだ。愛することは語ることであり、語ることは愛することである。

そして、語り尽くせないのが「真のスター」の証であるならば、後続する世代の中から新たな言葉が出てくることも大いにありえるだろう。「往年のスター」と呼ばれる者たちがそうであったように、三浦さんについても次の世代へと語り継いでいきたいものである。いや、語り継ぐのが私たちの使命だ。

 

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ありがとうございます。

 

心穏やかに過ごせていますように、、、。