たまに、「ものすごく話が合う男」というのがいる。初めて会って、ほんの少しふたりきりで話しただけで、それは解明されるだろう。そういう男と話しているときは、とにかく「自分は認められている」という気持ちで一杯になる。相手とすべてを共有していると信じ込んでしまうのだ。

その幻想にも似た直感は大抵の場合、単なる妄想ではない。本当に気が合う男に対しては、仲良くなる前にそれが分かってしまう。自分と似たような種類の思想を感じ取る能力が、たぶん人間には本能的に備わっているのだ。

ただし、そういう男と性的な関係を持つことが正しいかというと、必ずしもそうではないと思う。

例えば前回の話を引き合いに出してみよう。「休日を無駄に過ごすのが好きな男」と「休日を無駄に過ごす男が好きな女」が付き合ったとして、彼らは休日に外出することはほとんどないだろう。いつでも家でぐうたらして、それに何の疑問も抱かない。しかし「休日はアクティブに過ごしたい男」と「休日を無駄に過ごす男が好きな女」が付き合ったらどうか。最初こそいさかいは避けられないだろうけれど、いずれはお互いの価値観に触れ、新しい休日の楽しみ方を発見することができるに違いない。

生物学的に言っても、人間は自分にない遺伝子を求めてパートナーを探すのだ。ものすごく考え方の似た男女が生活を共にしたとして、それは一緒にいてどんなに楽であっても、決して進化はしない。本来的な意味での「発展」はないのだ。

久し振りに、ものすごく気が合いそうな男と出会ってしまったので、自分を律する意味も含め、こういうことを書いておく。