料理ができる女、というものに憧れる。

私の母は料理をしない人で、幼少期の食事の思い出といえばファミレスの外食とスーパーのお惣菜が中心だった。そのため、私自身「食事は家で作って食べるもの」という感覚がない。本来家庭で培われるべき料理の基礎知識やセンスなど、ほぼ無いに等しい。

そのことへの漠然としたコンプレックスがあり、女の友人の「料理が好きでいつも自炊してるの」「彼氏が来ると必ずご飯作ってあげるの」という類の話を聞くと、無条件で尊敬の念を抱いてしまう。仮に、付き合っている男が他の女に乗り換えてしまったとしても、「だってあいつ家庭料理のプロなんだよ」と言い訳でもされたら、憎しみや敗北感よりも先に相手の女を褒め讃えたくなるだろう。

私だって、いい年をして料理が全くできないわけではない。人並みに野菜を切ったり魚を煮たりすることはできる。しかしそれは私が考える「料理ができる」ということとは遠くかけ離れているのだ。料理ができる女というのは、例えば魚と一緒に煮込むための生姜をわざわざ擦りおろす女、ご飯に乗せるためだけにわざわざ三つ葉を刻む女、大根サラダがそれだけでは寂しいからとわざわざ帆立を茹でて交ぜるような女、である。

私だったら、生姜もニンニクも全て100円均一のチュープで十分だし、三つ葉や大葉など保存のきかない薬味は不要、食材を複数使って料理をすることなど無い。それらは食事のコストと手間を大幅にアップさせる行為でしかなく、そして何より「面倒くさい」のである。

しかし思うに、料理とはそれらの「わざわざ」が一番重要な要素なのではないか。食材選びから皿に盛りつけて運ぶまで、どれだけのこだわりと愛情を持って取り組んだか、そこでその料理の有難みは決まる。そういう意味で言えば、私のやり方では決して「価値ある食事」を提供することはできない。

羨ましいというよりは、私に備わっていない感性を持つ者への賞讃に近いと思う。料理ができる女たちよ、あなた方はまことに素晴しい。男でなくたって惚れてしまうのは当然である。