もぉりぃです。
前回、そろそろ冬眠から明けます、言うて
どんだけ経ってるってことなんですが、
前回、最後の方にチョロっと書いていたように、
3月22日(金)、広島には赴き、
週明けの25日から働き始めたのですが、
1週間ほど経つか経たないかの頃から
右目に違和感を覚えるようになりまして。
その内、右下が(から)見えなくなってきて。
あれよあれよと言う内に、
右目の視界が1週間でほぼほぼ無くなり、
さすがに早く眼科で診てもらわないと
失明するかも…と受診しましたら、
網膜剥離でした。
詳細・経緯は省きますが、
急きょ、広島は辞めさせてもらい、
友人等の助けにより、荷物・車を一気に引き揚げ、
徳島の日赤病院で手術(4/10)➡入院(4/15迄)、
現在は、実家にて療養中です。
お蔭さまで、
右目の視野はすでに取り戻したものの、
まだ、歪みや縮みがあっての視界なので、
油断すると、水をこぼしたり、
コップを落としたり…なんてことがあります。
絶対安静…ではないですが、
激しい動きや、重いものを持つのは
避けるように、とのことです。
「網膜剥離」と言うと、
「ボクシングする人がなるやつ?」
と思う人も多いようで、
私もそこまでではないにしても、
自分がそんなことになるとは
思いもよらなかったけれど、
意外と、近くに最近(ここ1~2年で)
経験した友人知人もいたりして、
そこまでレアな病気じゃないんだなぁ…
と実感しました。
また、後々書けたらいいなぁ、と思うのですが、
今回、本当にたくさんの方々に助けて頂きました。
そしてその間、(特に手術前後)
とてもとても、多幸感に包まれた私が居ました。
それでね、敢えて思うのですよ、
こんな場合、人はよく、言うじゃないですか、
「人にたくさん迷惑掛けたね」って。
(特に家族)
でもね、よく言われることですが、
「たすけて」って言えることは大事。
もちろん、そう言える関係性を
育もうとすることも、大事。
もちろん、私が今回受けたやさしさは、
当然なんかじゃなくて、ありがた過ぎて、
思い出しても涙がちょちょ切れるくらいだけど、
そのしあわせの波動は、きっと
たすけてくれたやさしい人たちをさらに、
やさしい世界に運ぶと思うんだな。
さて。
このようにして、
徳島に引き戻されました、私。(笑)
実はですね、前々から、
「食べられる森をつくりたい」
「エコビレッジをつくりたい」
と思ってまして。
実家周辺に。
これまで、あまり声を大にしては
言えてなかったですが、
これまでの動き(果樹園や農園での援農アルバイト)は、
それに向けての経験づくり、仲間づくり、という
位置づけでおりました。
それを、来年度からは本格化しようと、
今年秋に広島から帰ってきたら準備を…と思っていたのが、
「やっぱりちょっと前倒しでやりな」ってことかな、と。
今日のタイトルに戻りますが、
八十八夜というのは、種まきのシーズン到来
ということらしいです。
気持ち的な種まきも、ここですると、
よいらしいのです。
なので、
「食べられる森づくり」
「エコビレッジづくり」
の準備を、これから具体的にしていきます。
そしてそれをアウトプット(表現)していきます
今年は、八十八夜が5月1日。
そこから8日間が、それにあたるとのこと。
さとうみつろうさんの動画で、
そうしたことを話されてます。
よければ、聞いてみてくださいね。
最後に、短かった広島での滞在中の写真を少し。
到着日の3月22日。
春分の雪が残ってて寒かった
毎度ながら、
あてがわれた部屋の掃除で始まる新生活。
古民家の電気の傘は、だいたいこんな感じになってる
最初の仕事は、ブルーベリーエリアだったところの撤収。
ワイヤーや鉄柱の撤去は、地味に重労働。
この黒いシートも全部はがして…
冬場運動不足の私は、お尻が筋肉痛になりました
8年ほど前、地元の温泉で足もみをさせてもらった
広島のお客さんと再会し、ご馳走になったり、
たくさん差し入れして頂いたり、
今回とても支援して頂きました
机がなかったので、座卓を部屋の隅に
組み込んで作った執筆スペース的な。
最後はちゃんど、原状復帰しました。
2週目、作業していたハウスのブドウ畑。
1本1本に話しかけるように作業してました。
(折っちゃったのも、もちろんありますが)
場所変わって、病院で手術を受ける前の待ち部屋。
午前中から待って、手術が始まったのは結局、
夕方6時前でした(1本丸々映画が観れた)
※手術室に入る瞬間、本当にほんとうにしあわせで、
車椅子を押してくれていた看護師さんに、
「ドキドキワクワクです」
って言っちゃってました
退院前日、やっとシャワーを浴びることが出来て、
スッキリしたとこを撮りました