東京に越してきて一年と五か月が過ぎた。
40にもなる私が何故誰も知らない東京に来たのか?
そしてひきこもってるのか?長い話になるが語ろうと思う。
2018年12月28日午前3時頃に私の養父が喉にジェル状のものをつまらせ窒息死した。
養父と言っても成人した後の養子縁組で育ての親という訳では無い。何故その養父の死が人生の転機になったのか。それを伝えるためにはまず当時の私の仕事と養父との関係を書かなければならない。
私も養父もヤクザだったのである。養父は組織の相談役をしていたが齢70を越えており親分から「最後に一花咲かせては?」と言われ組を作る事になった。私を若頭にして養父は「一年したら引退するからあとはお前が組を継いで好きにしたらいい」という事になった。
故人を悪く言うのは申し訳ないが、養父はとにかくデタラメな人で(私もあまり人の事はいえないのだが)書き始めるとキリがないので省かせて頂くが養父のせいで何回私が生け捕られたことか…ただそれでも憎めない不思議な魅力のある人だった。実際私はこの養父が好きだった。私が養父から学んだ1番の事は「人は色濃く悪い一面をもっていたとしても、それを補う優しい心があればよいのではないか」という事だった。
話がそれてしまったが、いよいよ私の人生も上向き初めたと思ったところで養父が死んだ。組を出す話は全て白紙である。当然若頭の話しも消える。言葉通り一瞬先は闇、だというのを思い知らされた。
ヤクザの世界は徹底的な縦社会であり、下のものは苦労するが自分が親分になり若い衆を育て組織力をつければ大概の事は思いのままである。
何せ自分が頷くだけで安全な所から人1人殺すこともできるのだから…
そういう欲に塗れてはいるが、約束されたと思い込んだ未来が一瞬にして崩壊した。自分の力では回避の仕様がない挫折だったとおもうがやはり挫折だろう。
そこで引退してもよかったのだがヤクザ以外の生き方を知らない私は結局ヤクザを続けることにした。
それが一番の間違いだった。
次回に続く.......かも?