足の骨折で
入院していた母が
無事、退院しました(^-^)
まだリハビリの
途中ではありますが
これ以上長くは
病院にいられない
とのこと💦
ともあれ
動けない母を
自宅から
転居していた
高齢者用マンションで
受け入れて下さり
本当に
ありがたく思います( ´∀`)
紅葉のように
色鮮やかな
銀杏の木
昨日の続きになります。
少人数の
アットホームな
通園施設で
穏やかな日々を
過ごしては
いましたが
その間にも
容赦なく
娘の痙攣発作は
続いていました。
当時の連絡は
ポケベルが主流で
携帯電話を
持っている人は
少なかったのですが
私は
園からの要請で
早くから
携帯電話を
持っていた程です。
発熱
興奮
暑さ
寒さなど
いろいろな刺激が
発作の
引き金になりました。
通院で
定期的な
血液検査を
繰り返し
(娘は血管が細く、採血が大変で
耳たぶを切って搾り取ることも(TT))
坑てんかん剤を
服用していましたが
なかなか
薬の効果は
現れませんでした。
(ここは
個人差の
大きいところ。
あくまで娘の場合です。)
どうすれば良いかと
思い悩んでいた
時のことです。
障害のある子供を
専門に診ておられる
先生の
講演を
聴く機会がありました。
私は
子供たちに
真摯に向き合う
その先生の話に
感銘を受け
『娘を
この先生に
診てもらいたい!』
そう強く
願ったのです。
今から思うと
非常識で
失礼な話なのですが💧
私は
その先生に
直接お会いして
娘を
診てくれませんかと
お願いをしました。
その後は
先生に
教えていただいた通り
手順を踏んで
円満に
病院を移り
娘に合うように
薬の調整を
していただくことが
出来ました(*^^*)
それからは
娘の発作は
目に見えて
減っていきました✨
4種類の薬を
絶妙に
組み合わせた
その調合は
20年も経った
今でも
変わらず
娘に使わせて
いただいています
先生には
本当に
感謝しかありません。
。。ここまでは
私が母として
頑張った話ですが
もちろん
いい話ばかりでは
ありません。。
娘の病気は
受け入れられても
『障害』と言われると
受け入れられず。。
娘が
入学するまでは
葛藤の日々でした。
明日は
その話を
書かせていただき
その後
しばらく
日常の記事を
挟んでから
娘の軌跡の
後半を
記させていただこうと
思います(^^;
どうぞよろしく
お願い致します。