娘は
生まれた時は
少し
小さめでしたが
何も
問題のない
健常児として
退院することが
出来ました。
私は
女の子が
欲しかったので
嬉しくて
ありがたくて
仕方がなかったことを
覚えています。
上の男の子は
義父が
名前をつけたので
娘の名前は
どうしてもと
私が付けさせて
もらいました。
のちのち
家族に
その名前が
悪かったのではと
言われもしましたが
名付けの本も
買って勉強し
願いを込めた
大切な名前です。
ほんの
少しの間でも
私は確かに
「幸せなお母さん」
でした。
それだけに
なかなか
娘の障害者を
受け入れられず
苦しい思いも
してきましたが
幸せな記憶は
私の支えでもありました。
けれど
この頃から既に
何となくの違和感を
娘に
感じてはいたのです。
上の子の時と
違って
何か反応が
遅いような。。
やっと
歩き始めた
一才半の頃
娘は
痙攣を起こして
止まらなくなりました。
一度治まったと
思っても
また数時間後には
痙攣が始まるのです。
そして
その間隔は
どんどん
短くなっていきました。
かかりつけの
病院の紹介で
大きな病院に
入院することとなり
その後は
痙攣発作を
起こす度に
大きな病院に
運ばれて
検査のため
1〜2週間
入院することに
なりました。
もちろん私も
泊まり込みの
付き添いになります。
そうやって
検査を
繰り返しても
娘の脳波には
異常が
出なかったので
初めは
熱せい痙攣と
診断されました。
ここから
長い長い
病院との付き合いが
始まるとは
この時の私は
思っても
みませんでした。
続きます。
娘が通っていた
生活介護施設へと
続く道。
遠くて
送迎が大変でしたが
この景色が
とても好きでした。