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7月ももう終わりです。
時間はみんなに平等に与えられるものだけど
限られた人生の時間をいかに有効に使うかは
自分次第だということ。
極論、
明日死んでもいい選択をする
つまりは
ごちゃごちゃと言い訳せずに
心に従って生きるって
決めると
人生ってあっという間に
好転するんですよね^^
人生折り返しの40代後半。
自分のために生きていきましょう♡
昨日、書いた記事の続きになります↓
6歳で実母が他界し
父が再婚してステップファミリーの中で
育ってきたのですが、
時が経てば、みんなが環境に順応していって
「家族」としての輪もできていました。
父の会社の若いお兄さんが
住んでいた事もあったり
兄弟、それぞれが好きなように
友達を連れてきては
みんなでワイワイと
ゲームをしたり、トランプをしたりして
大騒ぎな家の中で
常に人がいて静けさとは無縁。
トイレやお風呂もいつも順番待ち、
みたいな状態。
きっといろんな意味で普通ではない環境だったと思います。
子供が5人もいれば
親もざっとしていて
ご飯も大皿がどん!どん!と置かれて
好きなだけとって食べるスタイル。
もちろん、争奪戦。
大雑把に育ったから
大雑把は当たり前で
よその家の静かさや丁寧さが
逆に違和感だったりもしたり。
それでもやっぱり
家の中で気を使うことは多くて
姉と継母の間に入っては
「調整役」になって
争いが起こらないように
家族が壊れないように
ずっと家の中を見張って
継母の機嫌をとって、姉の悲しみを吸収して
どうにかこうにかやってきたんだけど。
そんな風に周りばっかり見てたから
その頃から私の心はずっと置き去りで
自分自身を見る余裕なんてなかった。
家の中での役割に疲れて
学校や外では
気分の浮き沈みが激しかったり
心にポッカリあいた
「愛情」を埋めるために
女友達への異常な執着や
自分を理解してほしいという欲求が
異常に強かったり。
いつも愛情を探している迷子みたいな状態で。
どうやったら愛されるのか
どうやったら認められるのか
どうやったら肯定してもらえるのか
そんなことばっかり考えていたし
家族が円満で
お母さんと仲の良い友達が
嫌いで嫌いで、
無視しまくった事もあった。
とにかく他人が羨ましかったし
私も普通の家庭に生まれたかった
って何度も思ったし
自分の環境をいつも恨んでた。
学生の頃に一番嫌だったのが
三者面談。
学校に行くのが嫌いな継母に
伝えるのも勇気がいったし
当日もブツブツと文句を言われて
「この子は根性だけはあるから
なんとかなるんじゃないですか」
って終わらせようとする。
継母が私のために学校に来たのは
中学の入学式が最後だったかな。
授業参観や体育祭、そのほかの行事は
私も来てほしいなんて言えなかったから
そんなもんだと思ってたけど。
三者面談は必須だから仕方なく来てくれたんだけど。
本当はいつも寂しかった。
そんな風に愛情を探し続けた10代を過ごし
境遇を恨んで世の中の不平等さを憎んで
心は死んで、何もないフリをしてなんとなく生きてた。
欠乏感しかない心のまま
大人になって
早く家を出たくて
その時付き合っていた彼と23歳で結婚し
ようやく実家を脱出することに成功。
欠乏感からの行動は
欠乏感を生むだけで
埋まらない愛情の枯渇は続き、
結婚したのに不安でたまらない日常。
ふとした瞬間に爆発する感情。
そばにいる旦那さんにも
顔色を伺って、喜んでもらえるように頑張って
愛情をもらえるように振る舞って
浮き沈みの激しい感情を
コントロールできない自分に
嫌気がさして・・・
そんな自分と向き合わないまま
本心に蓋をしたまま
25歳で長男を出産。
ここから私の「愛情」への思いに
変化が起こりました。
長くなるので、続きは次回に。
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