ら2011.12.25  腰椎椎間板ヘルニア手術

2017.8.24    乳がん検診(マンモ、エコー)
2017.9.7      再検査(針生検)
2017.9.14    乳がん告知 (ステージI ) 
                    トリプルネガティブ   ki-67→80% 
2017.10.17  術前化学療法開始(EC/パクリ/ドセ)
2018.2         遺伝子検査→HBOC(BRCA1)
2018.3.13    ラストケモ
2018.4.27    右乳房全摘(乳頭乳輪温存)
2018.5.26    術後病理検査結果リンパ転移無し/pCR
2018.6.26    職場復帰
2018.12.14  自家組織(広背筋)乳房再建手術
2018.12.30  退院 自宅療養
2019.4         休職中に通信短大入学
2019.7         職場復帰
2020.4.20    卵巣卵管子宮摘出(腹腔鏡手術)
2020.5         職場復帰  
2020.8         腰椎椎間板ヘルニアで休職
2020.12       ヘルニコアでヘルニア治療
2021.3.        職場復帰、短大卒業
2021.4.        引越し
2022.10       仕事しながら通信大学に編入
2023.6         コロナに罹患
2024.5         初のMRPC検査
2024.10       通信大学卒業





こんばんはニコニコ



急遽、帰省いたしました



新幹線の車窓から(12時過ぎでこの暗さ)

新潟だもの、雪くらいあるよねー




休日に部屋でダラダラしていた時

父の通院している病院から

連絡がありました



嫌な予感



年明けの父の定期検診時に

医師に入院を勧められ

父は拒絶をしておりましたが



回復するどころか

ついに我慢できなくなり

結局緊急入院という形に

なりました



先生の提案に決断していれば

入院準備も出来たはず



私も急な呼び出しより

「○/○日から入院するよ」と

猶予をもらえるなら

それに合わせて休みを調整し

かつ、移動手段も選べたのに




えぇ、全て「たられば」ですけど




この主治医は本当丁寧に話を

してくれます

こちらが理解するまで説明してくれたり

こちらの的外れな質問にも

しっかり聞いてくれたり(傾聴スキル)



えー、優しいじゃん、主治医(父の)



幸い翌日も休みだったので

翌日新潟の病院に行くことに

しました



本当はその日のうちに

移動したかったのですが



翌日は会社の健康診断があり

受けるの迷いましたが

健康診断は受けるべきかと



で、ハードスケジュールを選び

ほぼスタート時間に健康診断を受け

終わったら直ぐに会社をでて

移動中の在来線の中で

これから利用する新幹線と宿泊が

パックになっている旅行パックを

予約いたしました



新幹線との宿泊パックは

ホテルが駅から微妙に遠くて

ボロい施設だと

新幹線往復をチケットだけ買うより

安くなるのです

それでいて宿泊付きならね



値段的には高速バスで行きたいけど

今回は時間がないので新幹線一択でした



健康診断で夜と朝食抜いてきたので

新幹線に乗る頃にはお腹ぺこぺこ



でも気分的に不安でガッツリ

という気分でもなく

東京駅構内のベーカリーで

空腹だけどパンチの効いたカレーパンを

買って車内でたべましたニヤリ




さすがに空腹の一発目に

カレーパンは胸焼けになりますね



ますます気分はダウン



私にとって未知の領域の「介護」が

いよいよ自分の身にふりかかってきて

不安でいっぱい



今回は一人で行くので

ますます不安でした



あれほど「透析はやらない」と

父は宣言していたけど

きっと「生きたい」と強く思ったので

しょうね



新潟駅に到着して

実家によらずバスで病院へ直行



父は透析中でした



主治医からの説明の時に

担当の看護師さんと

ソーシャルワーカーの方が

集まってくださいました



父の病状は

レントゲンを見ると肺が真っ白

白いのは水が溜まっている状態



要は

溺れているのと同じだと(怖っ)



透析で水を抜くことで

楽にはなるが

一度透析治療を始めると

やめる事が出来ないそうです



でも治療しなかったら

衰弱して自然死を待つだけ



主治医も本人が生きたいなら

治療しない選択はないと

おっしゃっておりました



看護師とソーシャルワーカーの方から

どういう制度が利用できるのか

介護サービスを受けるにはとか

特にお金の事など

私が納得するまで説明してくださいました



身体障害者の申請?

介護保険の申請?

特定疾患保険?



もう言葉も内容もわかりません



先生から家族のサポートが必要だと

家族だけでなくみんなで連携しないと

いけない事なんだとおっしゃるのですが



私は介護が終わっても私の人生は続くのに

仕事を辞めて同居なんて出来ないと

伝えました



あと、金銭的な事(費用と負担)

かなりハッキリ伝えました



「私の給料は青天井じゃない」



理想的なケアはあるだろうけど

それは幾らでもお金が出せる人のことで



透析となれば週3で通院必須

誰が連れていくの問題もある



介護タクシーもあるけど

底辺企業の会社員の独り身の貯蓄なんて

たかが知れてるし

私が一人で負担するのは厳しい



最初のうちに出来ないものは出来ない

家族の関係性も話した上で

自分の気持ちも全部伝えました



主治医も無理強いをしているわけでなく

そういう覚悟が必要なんだと

伝えたかっただけみたいでした



長い時間話し合いをして

まず第一歩を踏むのはどの手順からなのか

金銭のサポートや介護サポートを

受けるために何からやればいいのか

丁寧に教えてくれました



ようやく

父と少しだけ話をする事が出来ました

声も出なくて

この前会った時より萎んでいた



持ち帰って欲しいものを預かり

持ってきて欲しいものを聞き

私は18時に病院を出ました



ちょうどいいバスもない

アクセスの悪さは地方では

仕方ないよね



徒歩25分の駅まで歩きましたが

歩いている時は晴れて

駅に着くなり雷と土砂降りになり

何だかツイてる

そう思うようにしました




新潟駅のイルミネーション

小雨が降った後は雰囲気いいね

そして人が居ない泣き笑い




もう疲れて、お酒が飲みたい気分

立ち飲み居酒屋で一杯ひっかけました



銘柄が謎の悪酔いしそうな日本酒


串焼き5点


栃尾の油揚げ(納豆挟み)


アジフライ


じゃがバター焼き



アジフライの油と日本酒が

悪い意味で弱った身体に効いて

ホテルに戻ってバタンキュー



しかし段々と言われた事を思い出し

翌日各所に申請手続きと

病院に行ったりするスケジュールを

どこから始めようか考えると

脳が休めません



不安な一夜を過ごしました



手続きについては

次のブログで



お読みいただきありがとうございます


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