こんばんは
突然といえば突然
私の年齢ならあるあるなのか
故郷で1人で暮らしている
88歳(来月で89歳)の父親が
先日、未明に救急搬送されました
早朝に父の携帯番号から
電話がかかってきて
取ると父の搬送先の病院の
看護師さんでした
入院の事や治療と病状の説明を
詳しくしたいので
いつ来れるかの確認です
私が関東に住んでいることは
父から聞いているみたいですが
それでも「いつ来れますか」と
その日は私は出勤でしたし
「いつ」って「今日の何時」なのか
「今週中」で良いのか
寝起きだし咄嗟に答えられず
兎に角、到着時間も確認するために
一旦、電話を切り
あとで折り返すことにしました
その前に少しだけ父と会話
苦しくて声が出ないのか
あんまり聞き取れない
ちょっと切ないわ
私が行くにしても
一応、姉に連絡
長姉→電話に出ない(想定内)
次姉→やはり出ない
あと転職したばかりな上に
先日コロナで休んだばかりなので
休むのは無理だろう
とりあえず出かける準備はして
上司にはもう少し経ってから連絡
休む旨を伝えて自宅を出発
駅に向かいながら病院に連絡
到着予定時間を伝え
新幹線チケットを券売機で買い
久しぶりの新幹線
新潟駅についたら
バスに40分乗って病院に到着
車がないと不便です
到着すると父に会う前に
医師からの説明
ウイルスによる肺炎、
持病の腎不全、心不全
熱も40度近い
数日前から具合いが悪く
救急車を呼んでいいのか
迷っていたら呼吸が苦しくなって
悪化してから呼んだらしい
年齢的に退院出来ても
また繰り返し
段々と弱っていくとの事
今後の事も相談してくださいと
説明を受けた後に承諾書に
サイン
私には荷が重いと思いつつ
決断していかないと進まない
そして、ようやく父と対面
酸素吸入チューブがついて
苦しそう
ゲホゲホいって血痰も出るし
急遽の搬送で入院準備なんて
していないので
お財布と携帯以外何も
持ってきてない父
私に頼みたいことがあると
月初に引き落としがあるようで
その口座にお金がなく
口座間の資金移動を頼まれました
看護師さんも
「マスク持ってきてほしい」
「髭剃りの剃刀もいるわね」
「洗濯物持っていきます?」
などなど言われて
全部やるにしても
車で来たわけでないので
時間との戦い
車で行けば病院から実家まで
15分だけどバスだと40分
もう既に疲労困憊でしたが
やるしかないです
ここからは
アドレナリン出まくっていたと
思います
地域バスっていうの?
どうやら実家の近くを通るバスのようで
それが病院からも乗れるので
外回りか内回りか知らんが
一か八か乗って
無事に実家付近で下車
合間に長姉するもやっぱり
連絡つかず
長姉と仲の良い叔母に連絡を入れるも
こちらも出ない
別に頼ってるわけじゃない
親がこうなった事をつたえて
生きてるうちに会えるようにと
連絡しただけ
心配でもなく、後悔もしないなら
折り返しくれなくても
別にいいのですが
私は自分のやれる事をやっただけ
こういうの、疲れる
父に頼まれたお金のこと
看護師さんから言われたもの
あとは私なりに必要と思われるもの
十分とは言えないけど限られた時間で
最低限の準備は出来ました
あと、コロナがまた蔓延してきたので
面会も禁止らしく
翌日まで新潟に居れたとしても
明日はもう面会はできないと
言われました
せいぜい週1回、洗濯物を入り口で
看護師さんに手渡しするだけとの事
居ても父のフォローはできない
荷物を届けに病院に戻った時に
最後にもう一回会わせてもらえて
持ってきたものの確認をしてもらい
お茶を飲ませて病院を出ました
車を実家に置きに戻り
保管できない食料や生ゴミを集めて
神奈川に持ち帰ることにして
洗濯物は洗濯する時間がないし
次回来た時にまとめて洗う予定
前回会った時より父はまた痩せて
おりました
いつまでも元気ではいられないよね
帰りの新幹線でドッと疲れがでて
東京についても電車移動が苦痛でした
帰宅したのは23時過ぎ
ゴミ、重かった
最低限のシャワーだけでも
浴びなきゃと
ささっと済ませすぐ就寝
職場には急遽休む理由は伝えたけど
その後どうだったかは報告してなくて
翌日、出勤したら売場の仲間から
父を心配をする声をかけてもらい
心が少し和みました
店長からも気遣いをいただき
「急な休みなんて、お互い様なんだからさ」
と言われた瞬間、ウルッときそうでした
いざ父がこうなった時の
介護やその後についての
自分の知識の無さに
情け無いと思いました
あと、久しぶりに思った事
緊急事態で搬送されることは
自分にだって今後も起こる可能性が
あるわけで
やはり最低限の入院セットは
家族のいない私には必要だと
思いました
コロナも自宅療養に変わってから
すっかり解体した入院セット
改めて、最低限の準備は
しておこう
こんなんで10月が終わってしまうのね
さすが大殺界の乱気の月
10月は他にもあったけど
最後にコレで上書きされました
父の経過は記録用にブログに
載せていきます
小学生時代に髪型が似てるからと
私を「もんた」と呼んでいた父
その由来となる「もんたよしのり」さんが
先日お亡くなりになって
寂しいなと思っていた矢先でして
はぁ
プラス思考でいこう
なるようにしかならない
お読みいただきありがとうございます