エンジニア伊礼さんとタムまるくんの大千秋楽
則松ジジの泣かされた辛い彼女はいつだってキムを守ってくれてる、クリスの手から取り戻したキムを抱く長い腕が優しすぎて😭
屋比久キムはクリスに語る過去の戦火がリアルに見えすぎてしんどい、そこを生き抜いたキムの強さに海宝クリスの方がお子ちゃまに見えてしまう
まぁお子ちゃまクリスはきっと作品として正解なんだろうな
伊礼エンジニアも抱えた過去を生き抜いてきた強さが屋比久キムとどこか重なる
なんだかんだ言いながらタムに優しい、銃声を聞いて抱きしめていたタムをジョンに取られ彼に突き放されたエンジニアのラストの表情に涙腺崩壊😭😭
タムをしっかり抱いて背中を向ける仙名エレンにも泣けた
それにしても仙名のエレンが素晴らしすぎ
maybeの感情の揺らぎが鮮やかで、その後に海宝クリスと向き合って、苛立ちと怒りから彼の弱さを受け入れて覚悟を決めるから😭
 
屋比久キムが素晴らしかった
命をあげようが、息子の為に自分の命さえも犠牲するという自己犠牲の歌ではなく、生まれたくないのに生れ出たタムへ彼が自分自身の命を生きれるようにという大きな愛の歌に聞こえて圧倒された
 
今年のミス・サイゴンはこれまでと一体何が違うのかと考えていたのだけれど、ミュージカル誌で萩尾瞳氏が「成熟のミス・サイゴン」として劇評を書かれているけれど、隙間が埋まって、今回成熟した舞台に育ったという言葉がすとんと腑に落ちた
そうなのだ、屋比久キムも伊礼エンジニアを筆頭に、仙名エレン、松原エレン、小野田クリス、西川トゥイ、神田トゥイもみんなそれぞれがそれぞれとして描かれない時間にどうやって生きてきたのか見えたんだよね、それを考えたくなっちゃんだよね
そして、観ているのはミス・サイゴンで1970年代のベトナムなのに、あまりに様々な感情と記憶が自分の中から引きずりだされてしまうんだわ。17歳のキムと16歳で皇后になったシシィと、そして15歳の自分の姪とがだぶっていく感覚、そこから問われる私たち大人の責任と覚悟
 
ブイドイも先日LE VELVETSのコンサートで歌われた時にそこに子供たちの母親が出てこないことに気づいてしまって、しかも蒼穹の昴から1945年の終戦時に進駐軍が来て若い女性たちが危険だからと職業婦人たちがその前線にたったこと、パンパンとして家族の生活を支えた女性たちのこと、キムがエレンに言う「タムがブイドイと言うのなら」という言葉が突き刺さった。
「ブイドイ」を救いに行ったときにその母親たちはどうなったのかと
人種の違いから見た目で混血だとわかってしまうこどもたち、その混血の子を産んだ母親たちは日本では家族から忌み嫌われて辛い人生を送った人も多いのだろうと・・・・ただ子どもと穏やかな生活を送りこともできなかった人々も多かっただろうけれど、鑑みられることはあったのだろうか。
 
色々抉られて、それでもタムへの愛情がキムだけでなくエレンからもエンジニアからもジョンからも溢れていたラストシーンで見えたのは、実の母からの愛を抱きしめて、皆に愛されて生きるタムの明るい未来だった
 
ところで伊礼さんの挨拶、明るくて前向きでカンパニーへの愛が溢れたけど、それだけに、登板は16回のみでツアーは2週間おきに初日千秋楽というスケジュールはどう考えても納得できないなぁ…
 
 
観劇後は友とウナギ食べたいね~~なんて言っていたのに、ベトナム料理食べながら感想を語り合った
 
観劇前は楽器博物館へ、馬頭琴の体験とかできてお薦めです