その1はこちら
観劇日から時間が過ぎ、別作品も幾つか観て、それでもまだ禁断の森に迷い込んだまま、様々な思いがぐるぐる巡り、言葉をまとめられないまま。
東京公演の配信も終わって、特別配信も今週末でアーカイブ期間終わるというのに
福士さんは、スリルミー翌日からのアイススケートショーでサンバを踊って、昨日から大河ドラマにも登場だし、6月27日にはMissionのライブだし、成河さんは森フォレの稽古が充実しているみたいだし、その次の検察側の証人もチケット先行の案内が来て、どんどん先に進んでるから、ついて行かなきゃと思うのだけど、それでもまだスリルミーの森に迷い込んでいたいのよねぇ。スリルミーの何にこんなに惹きつけられるかって、まず曲がいい!その上で、日本版の余白の多さで、思考がぐるぐるしちゃうことだと思う。
特別配信のペアトークで成河さんも語っていたけれど、「私」に感情移入してもいいし、「彼」に感情移入してもいい。ということで、見るたびにいろんな感情がなだれ込んできて自分のこと自分の身近の人々のことがシンクロされて、忘れていた記憶まで刺激されてしまう。
思い返せば2年前、2018-2019の千秋楽も名古屋だった。
そもそも、登録だけしてほったらかしにしていたブログを始めたのもスリルミーで感じたことをまとめておこうと思ったのが発端だったんだわ。2018-2019のつぶやきまとめはこちら。
5/15ソワレの99年の福士彼がふと見せた子どものような幼い表情。どこまで自覚していたかはわからないけれど、福士彼にとっても成河私がいたから皆を夢中にさせるリチャードでいられたのだ、成河私に誰より依存していたのは福士彼、けれど、それすらももしかして成河私の手のひらで転がされていただけだと感じたら、出逢った頃の子どもに戻ってそこから絶望したかのようで、あまりに辛い。19歳の私は種明かしをして永遠に二人一緒だと告げて満足だけれど、その二人の関係も福士彼も自分が壊したことに気づいていない、それに気づいたのはいつだったのか、本当はあの瞬間に気づいていたのか。54歳の成河私はいつそのことを認識したのだろうか。
彼が死ぬようなことが無かったら、「いや、もう二度とこんな話したくありません。」と54歳の私は言う。『こんな話』とはあの19年前の眩しく熱い記憶なのか。それとも…
彼は大人びていて色気もあるけれど、精神年齢幼いよね。山崎彼だとわかりやすいけれど、福士彼もそう。優しい炎でレイのことを「幼い」というけれど、「彼」の方が幼く大人になれていない。19歳と言いながら、中学生のような危うさのまま身体だけ大人になっている気がする。
眼鏡の件で事情聴衆されるという私に「弁護士ならいる、この俺だ」という彼
公園で自首するという私に「まるで弁護士だな」という彼
絞首刑を免れて、「彼のような弁護士になりたかった」とちょっと自慢そうに告げる彼
法律の勉強をして、弁護士になりたい彼だけれど、誰かを救いたくて弁護士になりたいわけでもなく、正義感があるわけでもなく、法廷で自分の望む方向へ物事を導く弁護士(それすらも勘違いもいいところだけれど)になりたかったのだろうな。
そもそも「どでかいこと」が殺人だし、自分が住む町が騒ぎ出せばそれで満足だし、殺す相手は自分より立場が弱い弟だし、そのかわりが、自分たちの小学校に通う10歳くらいの子どもだし、この視野の狭さはなんなんだろうね。頭が良くて2年スキップして、19歳でもう大学卒業なんだけど、ダメすぎる。。。小さい頃から父親に愛されない不満を放火などの軽犯罪で埋め合わせしても返ってその焦燥感が大きくなり、更なるスリルをと求めていく彼。
前も書いたけど、結局のところ、「子どもたちを、子どもだけの狭い世界で発酵させたら、犠牲の羊が生まれて、子どもたちは二度とこちらへ戻ってこなかったという話だ。所詮中二病を拗らせたままの勘違いガキンチョたちの話。彼の色気だけは大人顔負けなんだけどな」
ということにまた戻ってくるのだけれど、自分の中に小さな「私」と「彼」がいて、スリルミーを観ると自分のなかの「私」と「彼」が何かを伝えてくるんだよなぁ。
それは、今まさに中学生の甥や姪が迷っていないか、親以外の大人を必要としていないか見てやれって言葉にもなるし、過去の自分も一歩間違っていたら一線を踏み越えて向こう側にいっていたのではないかという恐怖だし、なぜ自分が「依存されること」に強烈な嫌悪感を持つのかそこにはトラウマがないかとえぐってくるし。
友達が多く社交的な母親とその母親譲りの社交性を持つ弟に抱いていたコンプレックスを初めて口に出せたのは29歳になったばかりの頃だ。あれがなければ、自分の中で何かを発酵させて腐敗させていたかもしれないとも思う。でもそのせいである種の呪いを母親からかけられていたことに気づかされてしまったというのもあるしね。
それにしても、憎しみに「愛」が打ち勝ち分断を乗り越えた融和を産むロミジュリと、私と彼の間に確かにある種の「愛」があったはずなのに悪夢しか産まなかったスリルミー。
所詮世の中きれいごとでは進まないけれど、けれど、やっぱり救いはあると思いたいし、私と彼の間にあった「愛」が誰かを想い、与える「他者への愛」ではなく、手に入れたいと求める「自己愛」だったからということで、なんとなく自分を納得させてみる。まぁ詭弁かもだけどね。