オンライン試写を見ながらのメモ書きを途中にしてあったので・・・
あ、盛大にネタバレしてます。
<オンライン試写、視聴中のメモ>
目をそらしてはいけない
オウムの広報荒木氏に被害者であるさかはら監督が友人として向き合う
同じ丹波出身で
道中イヤホンを分けあって二人で一緒には音楽を聴く、どこにでもある友達二人旅
(写真は映画.comのフォトギャラリーから)
そして、京都大学、
1987年入学、監督と一学年差?
サリン事件後立ち入り禁止
最近若い人の入信、出家が増えているという
時計台の大講堂、麻原の公演を聞いた場所
1991年のNFの時?
それとも1992年なのかな?
1991年NFの時は見に行こうとしたんだわ、
1992年に入信、1994年出家
1994年5月出家って先輩と同じ頃じゃないかしら…
若くして癌かと言われた弟の話、悪性腫瘍ではなく骨髄炎
示唆的
麻原の講演を聞いて欲望が消え、日常の喜びが消えって怖い
<終わり>
この後、さかはら監督の両親と対面した二人、そして、荒木氏を一人実家の両親の元へ送り出すさかはら監督。荒木氏と両親との対面は撮らない。そして、2015年3月20日、献花のシーンからの、マスコミの囲み取材に応じる荒木氏で映画は終わる。
その後、この映画を撮る直前の2014年のさかはら監督と上祐史浩氏との対話を読んだ。
地下鉄サリン当時、オウム真理教の幹部で、広報部長としてマスコミに出まくってた上祐氏。「ああ言えばじょうゆう」とか言われてましたね。その後、麻原と決別し、現在はひかりの輪の代表をしている。
https://www.amazon.co.jp/dp/B08X1Z76HG/ref=cm_sw_r_tw_dp_5S85HG3658PTKGK2ETAW
対話の中で語られる宗教観や父親の欠落から麻原彰晃に父親を求めた等、かなり深く対話がなされているが、結局上祐氏は自分で「ひかりの輪」という宗教団体を立ち上げ、そこの引き籠ったまま、出家したままなのだ。。。この矛盾、表面上麻原と決別しても解けていない洗脳
さかはら監督は下記のようなオンラインイベントをこまめに開催されています。
参加者とのQ&Aも何度か開催されていらっしゃり、1度参加して、直接お話もさせていただくことが出来ましたが、そこで改めて一度徹底的に洗脳されてしまったオウム真理教信者は、こちらの社会に戻って来れてないということ、洗脳はとけてないということを確認する。
私も大学時代すぐそばに「オウム」があった。私も大学祭に来た麻原の講演を聴きに行こうとしたのだ。それこそ、オウムがロシアに持っていた楽団のコンサートにも誘われたし、楽団のビデオをオウムに出家した先輩からもらったこともあった。でも、私はオウムに入信することはなかった。
意識して踏みとどまったわけではなく、おそらくあの大学祭の時、髪も髭も伸び放題の紫色の服を着た麻原が若い女性信者二人の肩を借りてよろよろ歩いている姿を見て、あ、臭そう、気持ちわる!!と思ったからだ。だから講演が行われる講堂に入らず回れ右をしたのだ。
あの「気持ちわる!!、絶対においそう!!」という生理的な嫌悪感を感じていなければ、自分自身もあちら側にいたかもしれないと。。。実際にオウムに入信して出家した荒木氏と、先輩たちと、私に対した差はないのだ。ただ、一線を踏み越えたか、踏み越えなかったかだけの違い・・・
けれど、20代の若い頃に踏み越えてしまったがために、荒木氏は洗脳を受けて、こちら側へ戻って来れていない。洗脳はとけていない。。。一見洗脳が解けているかのように見える上祐氏もまたあちら側に行ってしまったままなのだ。
どうすればよかったのだろう。どうすればいいのだろう。
カルト宗教が引き起こした国内最悪のテロ事件として、自分とは違う世界にいる狂った人々が起こした凶悪事件としてこのまま風化させていいのか・・・
ずっと棘が刺さっている。
踏みとどまれた自分、すぐ隣で踏み越えてしまった先輩たち、もしかしたら、先輩たちも私と同じようにちょっとしたことで踏みとどまれたのではないかと。そのために何かできたことがあったのではないかと・・・
映画を見て荒木氏もただの人間で、優しさのある穏やかな人間だという救いと、決して解けない洗脳という絶望。
そう、この映画で突き付けられた絶望は、自分に刺さったままの棘と一生付き合っていけと言われたのかもしれない。
けれど、もしまた身近な人たちが「カルト」に近づいた時、私は全力で阻止したい。その術を学ぶために、もっともっと多くの事を感じたい、学びたい、決して何かに妄信的にならないように。物事を多面的に考えられるように。
どうか、若い人たちの入信が止まりますように・・・。どうかオウムに入信したくなってしまった若者たちを誰かが抱きしめて踏みとどまらせてくれますように・・・